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2002年03月21日(木) 囚われの連鎖

電話の向こうで、A子がため息をつく。なんでも、彼女の友人がおなかに赤ちゃんができてからというもの、何かにつけてA子に「子どもの予定はまだ?」「なんでつくらないの?」と言うようになったのだそうだ。
その友人、妊娠するまでは義理の両親から孫を催促されるたび、「夫婦の問題なんだからほうっておいてほしいわ」と憤慨していたという。
「なのに子どもができたとたん、この変わりよう。いったいなんなんやろう」
話を聞きながら、私もつい最近、A子と同じため息をついたことを思い出していた。
近々結婚する友人の二次会の打ち合わせで、何人かの友人と会ったときのこと。その中に昨年ひとりめを出産したのがいたのだけれど、ひととおり話を済ませ、みなでお茶を飲んでいると、彼女は「子どもがいかにかわいいか」を語り始めた。
私はとくに子ども好きというわけではないが、「子どもってね」な話はいくらでも聞こうと思う。後学のためにもなるし、友人の“親”の顔を見るのは悪くない。しかし、今回は「子どもはかわいいよ」の後に、「小町ちゃんのところはまだ?」「いつ頃にとか考えてるの?」がつづいたものだから閉口してしまった。
「うちはまだ考えてないわ。お盆に海外行くし、来年はイタリアにも行きたいし」
しかし、彼女はなおも言う。
「でも、いますぐ妊娠してもひとりめが三十一やろ。ふたりめは三十四、五になるんやで。そろそろ考えたほうがええんとちがうの」
私は傷ついたのでも腹を立てたのでもない。「子どもを生むのがそんなにエライのか」などという方向に話を持っていきたいわけでもない。ただ、本当に驚いたのだ。子どもができるとこうもあっさり、苦悩した日々を忘れてしまえるものなのか、と。
結婚してから何年間か、彼女が不妊治療に通っていたことを、私はおしゃべりな彼女の夫から聞いていた。周囲には「まだ遊びたいから子どもはいらない」と言っていたが、彼女は同時期に結婚した友人がひとりふたりと出産していくのを見て焦り、彼の前で泣いたこともあったという。が、その頃の記憶は彼女の中から跡形もなく消え去っているようだ。
たまたま私の場合、子どもをつくらない理由が「まだほしくないから」だからどうということはなかったけれど、もしできなくて悩んでいる状態だったら……。あなたはその辛さを十分知っているはずではなかったか。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とはまさにこのことだな、と私は軽い失望を感じていた。

人はある時期から、己の固定観念や世間の風聞に囚われながら生きるようになる。それは言うなれば、「〜するのがふつう」「〜しなければかっこ悪い」という強迫観念だ。
高校を卒業したら大学に行かなきゃ。大学を出たらそれなりのところに就職しなきゃ。三十までには結婚しなきゃ。結婚したら子どもを生まなきゃ。ひとりめを生んだら、ふたりめを。
私も人並みに適齢期というものに囚われてきたクチだ。しかしいま思うのは、「長い人生のうちのほんの三年や五年ではないか。私はなぜああも切羽詰まっていたんだろう」ということだ。あの頃の漠然とした切迫感、悲壮感を思い出すと、吹きだしそうになる。
そして、思う。女が「そろそろ子どもをつくったほうがいいのか」と人知れず頭を抱えるのもきっとそれと同じなんだろうな、と。
「子どもはまだか」のシュプレヒコールや「できないと思われるのは嫌だ」という思いに囚われ、悩まされるけれど、ひとり生んでみたら、「なあんだ。母親になるのを二年や三年遅らせたって、どうってことないじゃない」に気づくことができるのだろう。
「人間、経験が大事だ」というけれど、それはなにも思い出づくりのためだけじゃない。自分がその立場を経験することによって、あの頃はわからなかったことが理解できるようになる。いままで気づかなかったことが見えてくる------成長するとは、大人になるとは、そういうことのはずだ。
苦悩してきた人が自分の呪縛が解けるなり、今度はその最中にいる人に負荷をかける側に回るというのはやっぱりおかしい。

人は親になったらなったで、子どもが立派に成長し、結婚し、孫のひとりも生まれるくらいまで、「みなに後れをとらないこと」を意識して生きていくのであろう。それどころか、死ぬまでたえず何かによって「囚われの身」でありつづけるのかもしれない。
しかし、私は少なくとも子どもをつくることに関しては毅然としていたいと思う。周囲の雑音をプレッシャーに感じることの愚を、いま一度自分に言い聞かせよう。

【あとがき】
「結婚はまだ?」「お子さんは?」にさんざん悩まされ、デリカシーがないと憤っていたのに、いざ自分がそこから脱出すると他人に同じことを言うようになる。なんなんだろうな、このカラクリは。「結婚っていいものだよ」「子どもはかわいいよ」くらいにとどめておいてくれれば、「へえー、そうなの」と素直に聞けるのに。「優越感持ってるだろ」なんてひねくれたことは思わないけれど、たしかにひと言ふた言多い気はする。