消費者金融の武富士弘前支店で起こった強盗殺人・放火事件の容疑者が逮捕された。
連日流れるニュースを見ながら、思うところはいろいろある。あれだけ似顔絵がそっくりだったにもかかわらず、勤務先や近所の人からの反応がなかったことには驚いたし、「従業員が警察に通報しているのを見て、火をつけて捕まらないようにした」という思考はあまりにも浅はかで、針の先ほどの理解もできない。
しかし、そういうこととは別にもうひとつ、どうしても解せないことがある。それは「店長はどうして金を渡すことを拒否したんだろう」ということだ。
これまでの調べで、容疑者は弘前支店に押し入り、持参した金属製容器に入れたガソリンをカウンター内にまきながら、「金、出せ。出さねば火つける」と要求。店長に拒否されたため、やはり持ち込んでいた新聞の一部に火をつけてカウンター内に投げ入れ、放火したことが判明している。
容疑者が入店してから逃走するまでの時間はわずか四分間。この短いあいだに店側が身元を照会し、目の前の客があちこちの消費者金融から借金を重ねているブラックリストに載った男だと判明していたとは思えない。仮にそうだったとしても、相手は店内にガソリンをまきながら、「金を出せ」と脅しているのだ。こういうときは相手を刺激せぬよう、とにもかくにも金を包む……というのが自然な行動ではないのだろうか。
起こってしまったことに「たら、れば」は虚しいだけだが、犯人に抵抗して殺されたなどというニュースを耳にするたび、私の中に「おとなしくしていれば助かったのでは」という思いがよぎる。
店長の行動を責めているわけではないけれど、こういうときは身の安全だけを考えて黙って金を渡さなければ、とつくづく思う。
恐怖に身がすくみ、とっさにNOと言ってしまったのかもしれない。しかし、もし店を守らねばという使命感からであったのならば、命を危険にさらしてまで守るようなものではなかったろうに……とますますやりきれない思いがする。
昨年、JR新大久保駅で、ホームに転落した人を助けようとした見ず知らずのふたりの男性が巻き込まれて犠牲になるという痛ましい事故が起こった。
捨て身で線路に飛び降りた彼らの勇気に多くの人が胸を打たれ、正義感を称え、死を悼んだ。私もニュースを聞いて、思わず涙した。
しかし、このとき私の胸になによりも強く刻まれたのは「だけど、やっぱり人間は生きていてこそなんだ」という思い。溺れる人を助けるために海に飛び込み、その人までも溺死してしまうという悲しい事故は毎年起こる。「ここで助けなければ後から非難される」などという理由で、線路に、水に飛び込む人はいまい。危険だと知りながら、いや、それさえ感じる間もなく反射的に体が動いているのだと思う。
しかし、ぜったいに自分が死んでしまってはいけないのだ。
人は自分のためだけに生きているのではない。家族や自分を愛してくれる人のために生きていなくてはならない。たとえその後、助けられなかったことに苦しむことになっても。
「ヒーローになんかならなくていい。あなたにはただ、生きていてほしかった」
韓国人青年の恋人の言葉に胸が締めつけられた。
勇気は尊い。正義も優しさもまた然り。しかし、命はたったひとつ。正真正銘、かけがえのないものだ。
大切な人たちに一生癒えない深い悲しみを背負わせてまで、守らねばならないものがあるだろうか。命と引き換えにしても守らねばならないものはただひとつ、「家族」だけだ。
この世で一番尊いのは、「生きていること」。私はそう思う。
【あとがき】 こういう事件が起こって「気の毒になあ」と思うのは、亡くなった方やその遺族に対してだけではない。犯人の家族にも「かわいそうになあ。これからの人生、どうなっちゃうんだろう」と思う。容疑者には妻と中学生の娘がいるという。コンピューターグラフィックスの似顔絵、気味が悪いほどそっくりだった。現場から三十分と離れていないところに住んでいること、手配中の車と同じ車を持っていること、事件当日勤めに出ていないこと。家族はただの一度も夫に、父親に、「まさか」という思いを抱かなかったんだろうか。思っていたとしたら、苦しかっただろうな。 |