優柔不断日記

2005年01月29日(土) 「公」という概念

昨日僕にとって最大の「公」というのは国だと言うことを書きましたが、その事をちょい説明。基本的には小林よしのりさんの「戦争論」で書かれていたとおりだと思います。でもそう考える理由というのを自分なりに考えて見ました。

20世紀の歴史から学んだ事といえば、共産主義は理想に過ぎず資本主義と共存は出来ないと言うことだと思います。一部中国が例外と言えば例外ですが、純粋な共産主義ではないですし、国内の貧富の差を見ても明らかにおかしい事になってます。人海戦術で今はなんとかなっていると言う感じかな。

つまり人はなんらかの競争をしないと怠けてしまって競争をしている人と比べて明らかに劣ってしまうのです。すべての人が共産主義を信じれば理想も叶うかもしれないけど、そんなことはアリエナイ。

つまり人は競争を前提として生きるしかなく、それによって進歩していくのだと思う。その前提に立つと今の地球上では最大の競争単位としては国だと思うし、その国内に住む人は多かれ少なかれ自国が競争に勝つために貢献しなければならないと思う。だから僕にとって最大の「公」は国なのです。

では、世界はどういう位置づけなんだろうか?
僕は国同士が競争を行う「場」だと思う。審判としての「国連」が存在し正常な競争が行われているかを監視する。競争の最終手段である「戦争」などが起こらないように。

地球環境を守るために環境保全を行うのは競争を行う「場」を大切にするという「ルール」だし、発展途上国に援助をするのは競争に参加する事に遅れた国に競争に参加する力を与えて、より活発な競争を促すこともあるし、単純に競争の犠牲になった人に援助するという意味もあるだろう。

と言うわけで今の僕の最大の「公」は国なのです。

もし宇宙人が地球にやってきたら、僕の最大の「公」は世界になると思う。
その時には「進歩的地球人」の「公」は宇宙になっているんだろうケドね。


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