優柔不断日記

2005年01月15日(土) 矛と盾

最近の右と左の定義がよく分からないので左右は使わないけど、平等主義の反対は自由主義だと思う。

平等主義は極めれば全く変化を許さないシステムになるし、自由主義は極端になれば無秩序となるだろう。どちらも重要な主義だと思うし、まさに最強の盾(平等)と最強の矛(自由)の関係だと思う。

どちらの主義にも優劣を付ける事は出来ないと思うが、今の世の中はアメリカの影響もあり自由主義の方が優っているという評価なのかもしれない。でもどちらも極端に陥ればシステムは機能し無くなるため、ケースバイケースでどちらを用いるかが重要となる。

体制側としてはその体制を維持するという「責任」があるため、矛と盾の用い方は慎重にならざるをえず、反体制側としては比較的「責任」が小さいため矛と盾の用い方に比較的自由度がある。体制が極端にならないようにするために反体制側の「責任」が比較的小さくなることは大事だと思う。

だから反体制側は相手の盾の部分を矛で攻撃することができるし、ケースによってはその逆もあるだろう。しかし反体制側にも責任があり、「このケースはこういう考えで盾(矛)を使う」という基本的な考えを持っている必要がある。

今の朝日新聞をはじめとする反体制側はその責任を全く放棄し、ケースバイケースで盾と矛を持ち変える事すらせず、その両方を持って体制批判をしているように思う。その主張には全く責任が無く、最強の矛と盾両方を持っているから自分を「絶対正義」と信じ、自分の主張を貫いている。その行為自体が「矛盾」を孕んでいるにも関わらず(コレが言いたかった

NHKの番組への政治介入の問題での野党の反応はまさにこれである。

今回NHKが認めているように番組の内容は明らかに公平性を欠いたもので、政府は盾を持ってこの問題に当たった(実際は番組内容に対して政府は何もしていないらしいが・・・)

民主党なども冷静に考えれば内容が公平性を欠いたものであるのが分かっている(盾側)にも関わらず(もしこれを公正であると思うのならその立場を明確にするべき)、参考人招致で報道の自由(矛)をかざし、これを問題化しようとしている。まさに無責任に「矛盾」しているのだ。

こういう明らかに正しい事をした場合は野党もそれを支持するくらいの良識があってもいいと思う。

「政治介入か指摘か」と言うことが問題になってますが、そういう問題ではなく、法(ルール)を守れない場合は介入も当然と僕は思いますがね・・・もしくは守れなかった場合の罰則を厳しくするなりの対策が必要だと思う。

今日は例え話で話を進めましたが、
「盾でどうやって攻撃するの?」という突っ込みは無しで・・


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