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- 2006年08月17日(木) ∨前の日記--∧次の日記
- 『グラウンドで泣けなかった』

甲子園準々決勝、鳥肌の立つような試合が続いて、
俄然盛り上がっている中、創作エッセイをどうぞ…
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真夏の太陽よりも熱く、熱戦が繰り広げられている甲子園。
お盆休みに実家に帰省した彼は、朝から夕まで高校野球中継を眺めていた。
テレビ中継を観ているうちに、彼の記憶は20年近い時を超えていく。画面に映る
泥だらけのユニフォームが、グラウンドに這いつくばる自分の姿と重なっていく。

あの頃、夢の舞台に届かなかったことは、それはそれでいい思い出だった。
しかし、己を追いきれなかった当時の自分…それは今でも心残りだと彼は云う。

《僕は精一杯戦ったのか?》 《自分の限界まで、自分と戦ったのか?》

その自問に苦笑いしながら、彼はこう云った。


「自分の弱さを思い知り、一番大切なことを学んだ。
 僕にとって高校野球は、そういうものでした。」





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1

自分への甘え。





長野の高校で硬式野球を始めた彼だったが、入部当初は野球という世界の中で
自分の居場所を見つけるのに苦労した。彼は野球はお世辞にも上手いとは云えず、
未熟な技術を克服する前に環境への適応という課題があった。しかしながら、
人よりグラウンドに立ち、人一倍練習しなければ皆に追いつけないにもかかわらず、
彼は怪我が多く練習を休むことが多かった。彼にとってこれが悪循環となる。


下手なのは仕方ない。それで怪我をするのも止むを得ない。環境に慣れないことは
時間が解決する。経験不足もそうだ。彼が当時の自分に対して一番心残りなのは
「心ざし」の持ち方であった。野球へ取り組む姿勢である。

「要するに、自分に甘えてたんです」

彼は云う。

「当時の私は、怪我をした時に『ラッキー!これで休める!』と思ったことがあります。
今思えば本当に恥ずかしいし、あきれる。自分がどんな気持ちで練習をしていたか、
この一言がすべてを物語っている。だから上手くならないし、頻繁に怪我をした」


どこの高校の運動部でもそうだが練習はキツい。放課後や土日、学園祭期間、夏休みや
年末年始など一般生徒が羽を広げる時にこそ、運動部員は汗まみれになり地に這いつくばる。

「休みがほしい…、遊びたい…」

運動部に所属しながら本末転倒な願望であるが、どんなに強い意志の持ち主でも、
こうした弱い己が忍び込む。意志の強さは、弱い己を押さえ込めるかどうかの違い。

彼は、ヘタクソで、心ざしもなく、ケガばかりで、練習を休みがち。二年生の夏まで、
彼は自分に負けっぱなしだったのである。技術的にも精神的にも未熟であった彼にとって、
一年生から二年生にかけてのこのツケは、最後まで大きくのしかかった。





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2. 

二年生の夏。





彼の二年上の先輩は甲子園を経験した。その同世代で、Kさんという先輩がいた。
ノックや球拾い、後輩の指導など部員全体の裏方役であった人である。

Kさんは裏方ながら最後の夏の県予選でベンチ入りを果たした。実は、彼の高校は
決して部員が多い野球部ではない。実力通りに各学年から選んでも三年生は全員ベンチ入り
出来てしまう。しかしKさんはあくまで「必要な戦力」としてベンチ入りした。チーム内で
最も信頼の厚い「選手」だった。

彼はKさんとは殆ど話したことがなかった。聞くところによると、Kさんは入部当初は
レギュラークラスの力を持った選手だったが、足を怪我して選手生命を絶たれてしまった。
しかしその後も辞めずに部に残り、共に頑張ってきた同期のサポートに徹して、
再び甲子園を目指すことに決めたのだという。

彼は、この話を監督から聞かされた。
2年の夏、彼が「退部届」を持って監督室を訪れた時のことだった。

彼は野球も好きだったが、もう一つ昔から大好きなものがあった。それは「絵」である。
煮え切らないことをしているより、これから絵の勉強でもして美大を目指そうかと彼は
思ったのだ。しかし彼の話の中に「現実逃避」であることを監督に見破られていた。

「Kが何の為に、選手生命が断たれてからも部に残り続けたと思う?」
「そもそもお前は、何の為に高校時代に野球をやろうと思ったんだ?」

監督から投げかけられた問いに彼は、口ごもった。
少しの間の後、監督は彼の目を見て云った。

「これからの人生のために続けるんだ。とにかく辞めちゃいかん。
 下手だとか怪我だとか、正直そんなことはどうでもいい。
 どれくらい絵が好きなのかは知らないが、好きなものはやればいい。
 でもな、一人でも出来る事は、これから幾らでも出来るが、
 高校野球は今だけだ。今の仲間と一緒に頑張れるのは今だけだ。
 もっと大切なことがある。だからKも辞めなかった。」


彼は黙ったまま、じっと空(くう)を見ていた。
監督は、彼の横顔に言葉を投げた。


「知らんかもしれんが、お前の親父さんとは何度か飲んだことがあってな、
 お前、もうちょっと親父さんに野球の話をしてやれ。
 グローブとかユニホームとか、それ以外にも色々助けてもらってんだろ。」




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3.

焦り。





彼は一年の秋に、監督からピッチャーに転向するように命ぜられていた。
「今思えば、それは監督の作戦だったのでは、と思うんです」と彼は云う。
彼は地肩と下半身が強いものの、筋肉が固く関節が弱い。決して投手向きとは云えない。
投手転向指示は、モチベーションアップのために監督が意図的に仕組んだ育成作戦だったか
どうかは、本当のところは分からない。しかし、どんな意図であれ、彼が進むべき道は投手
しかなかった。二年生の夏、もう最後の夏まで一年を切った。彼には時間がない。


二年生の秋。彼はひたすらブルペンで投げ続け、グラウンドを走り続けた。しかしながら、
やはり彼は怪我をしてしまう。彼は焦った。「なぜだ!」と悔しがり己を責めた。

『怪我をするのは下手だから。どこかに甘えがあるからだ。』



肩肘を痛めて投げられなければ走るのみ。土日にレギュラーが練習試合をしている時は、
炎天下のグラウンドの隅で走り続けて吐いた。怪我をしながらの練習はアンバランスな体力と
技術が蓄積されていく。基本的な動きを身体で覚えられない。練習時間が不足していた。

秋になると長野の野球シーズンは短い。11月の下旬にはボールを使った練習が出来なくなる。
焦る彼は肩が治るとブルペンで投球練習や夜にシャドーピッチングを繰り返し、残りの時間は
ひたすら筋トレと坂道でのランニングに費やした。みんなに足らない時間を追いつこうと、
彼は無理に練習を重ねた。そして・・・

年が明けると、彼は壊れてしまう。運動選手として致命的な腰痛に襲われた。彼の投球
フォームであるアンダースローにとって、上半身をかがめながら捻り上げる動作となるため、
腰はもっとも大切な部位だ。投手にとって足腰は命である。雪国の投手にとって冬の季節は
走り込みながら土台をつくる時期にもかかわらず、それが出来ない苛立ち。それどころか、
投げる打つ守るといった技術的練習も出来ない。冬が明ければもう最後の夏はもうすぐだ。

彼は、整形外科、整体、針治療、灸治療…と、腰の治療に何万も費やした。
しかし、シャドーピッチング時に奥から響く腰の痛みが和らぐことなく、

ついに最後の春を迎えた。





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4.

走馬灯。





三年生となった。高校最後の年。高校のチームは春季大会が終わると、夏の予選に向けて
準備に入る。信州の遅い桜が散り始めた四月のある日、練習後のミーティングを終えた後、
主将を勤める同期のHが、ベンチで用具を片付けている彼を呼んだ。

「おう…ちょっとさ…、あっちの、体育館まで来てくれや」
「ん?、・・・お、おう」

二人とも黙ったまま校庭を歩いた。校庭を横切って体育館の隣にある柔道場へ入っていった。
柔道部は今日は早めに練習を終えたらしく、中には誰もいない。月明かりが照らす畳の上に、
彼とHはゆっくりと座った。暗闇の中にほのかに照らし出されるHの顔。ふと彼の目の辺りに
何かキラキラと光るものが見えた時、Hがこれから話そうとしている内容を彼は悟った。


・・・


彼の代の主将・Hはアツい奴だった。彼は野球を愛し、野球に愛され、克己心に優れた人間だ。
身体は小さかったが、心技に卓越した素晴らしい野球人だった。Hの話が終わった時、何故か
彼の方が嗚咽するHをなだめていた。落ち着いた後、彼はHに伝えた。

「まー気にしないでよ。少し一人でいたいから、先に部室へ戻ってて」



Hが去った後、彼はユニフォームのまま畳にごろんと寝転んだ。
彼の高校野球がこの日終わった・・・、その意味を咀嚼した。

今年は彼等の代の三年生と下級生を含めて人数が多い。また今年のチームの選手起用を
考えると、少しでも実戦的な選手をベンチに入れたい監督の意向で、彼を夏のベンチから
外さざるを得ないとのことだった。どうやらHは、当然三年生の彼もベンチに入るだろうと
思っていたらしく、監督に食い下がったが、最後は監督の意向を飲んで彼に伝えたのだ。

彼の去就に関して、Hよりも当人の彼の方が比較的冷静に受け止めていた。監督の立場から
すれば至極当然だからだ。実力的にも順当で怪我も完治していない。妥当な判断だった。


「ふぅー…、間に合わなかったか・・・」

畳に寝転びながら彼は思った。それは、怪我の完治が間に合わなかったというよりも、
野球に対して甘えていたツケを取り戻しきれなかった…という意味だ。ヘタクソで甘えて
ばかりだった頃に自分の甘さに気づき、自分を追いつめては怪我をする繰り返しの二年間

…と思い始めた時だった・・・

「走馬灯」という言葉を、彼は初めて体感した。

入部してからの日々がリアルに頭の中を駆け巡っていった。ヘタクソ!とバカにされ、
甘ったれるな!と怒られ、よく投げた!と褒められ、怪我をして焦り、試合で自滅して
悔しがった日々。ひたすら走った冬の雪の道。そして、栄養を考えた食生活や野球用品
の用意など、野球漬けの生活をサポートしてくれた家族・・・すべてが駆け巡った時、
脳裏に浮かんだ言葉は「後悔」の二文字だった。そして自分の内から問いかける声を聞いた。


「下手は下手なりに自分と戦い、限界まで頑張れたか?」


彼は顔を畳に突っ伏して、震えながらうずくまっていた。





****************************





5.

最後の夏。





五月から彼は、ユニフォームを着た「裏方」となる。フリーバッティングで球拾い後、
ポジション別ノックでは外野のノッカーを勤める。ゲームバッティングでは走者役として
ひたすらベースを駆け抜けた。投手だったが、走塁やスライディングには自信があった。

シートノックでは再び球拾いや用具の片付けをして、練習の最後の締めで全員で行う
ベーラン(ベースランニング)は一緒になって走った。練習を通じてずっと新一年生の
動きを見るのも彼の役目。タラタラと走っている一年生を一喝し、練習後の一年生だけの
ミーティングでは新人達を叱り飛ばす(たまに褒める)指導役であった。居残り練習では、
同期のレギュラーに付き合って、ティーバッティングのトスを上げたり、ピッチングマシンに
ボールを投下したり、また柔軟運動の相手を買って出るなど、サポートに徹したのだ。

皮肉な事にこの頃には腰もかなり治り、打つ・走る動作では全く痛みはなかった。
投げる動作も20〜30球ならばそれほど痛みは出なかった。一軍メンバーが遠征する間に
居残りの二軍で練習試合を組むと、たまに投手として登板もする。これまた皮肉な事に、
妙にカーブのキレが抜群で過去二年間の中でも指折りのナイスピッチングだったりする。
(相手も一軍半だったりするからだが…)さらに皮肉な事に、試合後に相手高校の監督が
彼を指して「今日投げたあのピッチャーは何年生?」などと云ったりする。
それを聞かされた彼は、「間に合わなかったってことだね…」と苦笑いした。

選手としての夏は終わっていたが、彼は夏までは紛れもなく高校球児であった。自分で
プレーをするかプレーヤーを支えるかの違いで、最後の甲子園を目指すことには変わりない、
…あの日、月夜の道場で思ったことだった。脳裏に浮かんでいたのは先輩・Kさんの姿だった。
三年間、一緒に頑張って来た同期を夏のスターにしてやりたい…。夏の予選までの日々、
彼はその想いを込めて球を拾い、ノックを打った。





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6.

贈る言葉。






最後の夏、彼の高校は甲子園には届かなかった。


試合後のベンチ裏、みんな分かっちゃいるのに涙が出る。
その日、同期の仲間が流していた涙は、彼が春に道場で流した涙と同質のものだった。
その日、彼は同情の涙ではなく、満面の笑みで仲間を迎えた。
彼の高校野球生活が終わりを告げた。


試合に負けた翌日、三年生全員が集まって、下級生に最後の挨拶をした。
その時の挨拶を、彼は今でも覚えているという。


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自分が昨日流すべきだった涙は、夏のベンチ外を伝えられた春に流し尽くしました。
後悔の涙です。三年間、自分は自分に甘えて練習してきたことを後悔しました。
しかし五月から今日までの三ヶ月間、大事なことを学びました。
それは、「裏方」の存在です。「自分を支える人がいるから自分がある」ということです。
自分を支えてくれる人のことを思えば、自分に甘えている場合ではなかったはず。
Kさんのような裏方に徹してチームを支えていた人を見ていながら、
自分が裏方役になるまでその意味に気づけなかったことがとても悔しいです。
それでも、今それに気づけたことは、今後社会に出た時、または大事な人を想い遣る時、
これから必ず自分の役に立つことだと思いました。
下級生の皆は、支え合うことを強く思ってほしい。それがチームという姿だと思います。
そして必ず、将来の自分のためになると思います。
来年こそは甲子園へ行ってほしい!燃え尽きるまで頑張ってください。
========================================









・・・



当時の記憶をめぐらせていた彼が、

最後に云った。






「野球をやってよかったと思ってます」








060817
taichi


※慌てて書いたので、語彙や語尾の調整が出来てない乱文ですが、
 最後までお読みいただきありがとうございます。時間が出来たら
 少しずつ直しますので・・・

...
    

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