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淡 色 の
ひ と ひ ら 見 ぬ も
春 知 ら ず
卯 月 の 桜
逢 わ め ど 散 る か
お粗末です・・・
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桜の季節になりましたので、久々にコトバあそび。 短歌チック川柳です。
桜の詩は、古今問わず数多し。 何故に桜は愛されるのでしょう・・・。 今回は恋のすれ違いを詠んでみましたが、 いやいや、やはり言葉あそびは深くて難しい・・・。
【上の句】
「淡色の ひとひら見ぬも 春知らず」
桜色って、やっぱりセンチメンタルですよね。 ちょうどこの季節、卒業や引越、入学や新天地での生活など、 出会いや別れなどが多い時期であり、人のココロが揺れ動くのが桜の季節。 暖かくなるとともに、恋愛模様も移ろいゆくものです。 桜の咲く季節になると、私も過去の様々なシーンを思い出されます。 桜の色はやはり恋の色? ちょっとベタで恥ずかしいフレーズですが、そう想うわけです。
■「淡色の」
桜の色が己の中に芽生えた感情の象徴とします。 一方、桜の花びら一枚をまじまじと見たことがありますか? 見ると桜色ではなく、淡いピンクをたたえた白なんですね。 白なのか?桜色なのか?どちらにも転びそうな微妙な色です。 どちらとも云えない感情、言動、行動を指す。
■「ひとひら見ぬも」=「ひとひらの花びらは見ているが」
※見ぬも・・・・「ぬ」は進行および完了の意。「見てはいるけれど」
想う人=Aさん。想われてる人=Bさん。・・・とします。
Aさんからの微妙な言葉や行動を日々見ているBさんだが、 その言動の一つ一つは、白ともピンクとも云えない微妙なもの。 Bさんは、Aさんの一連の言動を結ぶ全体像に気づかなければ、 それがすべてがBさんへのサインだと分からない。
■「春知らず」=「桜の花が咲いているのに気づいていない」
「春」=桜の花。「知らず」=気づかず。
桜の花=「Aさんの想い」または「Bさんの恋の芽生え」を指す。 Aさんの想いに気づかない。そしてBさん自身も己の本心に気づかない。
■上の句まとめ
(解釈) 淡い白の花びらが集まって始めて桜色に見えるもの。 花びら1枚を見ているだけでは、それが桜の花であることに気づかない。
(意味) 相手の微妙な言動の一つ一つに捕らわれていては、 そのすべてが、相手の「好き」のサインだと気づかない。 ましてや己の本当の感情にも気づかない。
【下の句】
「卯月の桜 逢わめど散るか」
■「卯月の桜」=「4月の桜」
4月の桜はつまり「旬を過ぎた散りゆく桜」である。 これに関しては地域差があるでしょう。 私の田舎である長野では、4月初旬が桜の見ごろですので、 「旬を過ぎた」という解釈はピンと来ないかもしれません。 さらに東北地方では4月こそ旬の時期でしょう。 なので、本当は地域を限定する言葉が入れば完璧なのですが、 それが入ってない分、詩の出来としてはマイナスです・・・泣
さて話を戻して、「桜」は「恋心」の象徴とするならば、 「卯月の桜」の部分を、「相手の想いに気づくのが遅すぎた」 という解釈をしてもらえるとうれしいかな〜。
■「逢わめど散るか」=「逢いたいのに散ってゆくのか」
※「逢わ・め・ど」⇒「め」は「む(意思)」の已然形。「ど」は否定や逆説。
「4月の桜」を受けて締めの句です。 逢いたいと思う頃には、相手の想いが消えていく・・・という解釈。
ちなみに「逢わ」は、上の句の「淡(あわ)」と音をかけてます。 さらに、「逢わめど散るか」は「泡と散るか」に聞こえないかな〜気持ちがありましたが、 ま〜これは無理があった。ダジャレにもなりきれなかった〜。
■下の句まとめ。
(解釈) 四月になって、散り始めた桜がようやく目に止まった。 もっと逢いたいと思いはじめたのに、桜は散っていくのか・・・・
(意味) やっと相手の気持ちに気が付いて、自分の気持ちにも火がついた。 さて、逢いたいと思う頃には、相手の気持ちは冷めていることよ・・・・
【全体通しておさらい】
相手の言動の微妙な一つ一つにとらわれて、それがサインだと気づかなかった。 想われているのに気づけず、自分の本当の感情にも気づかない。
しばらくしてようやく相手の気持ちを知った。 自分の気持ちにも火がついて、いよいよ逢いたいと思う頃には、 相手の気持ちは冷めていることよ・・・・
どうですか?
そんなセンチメンタルな桜の季節・・・
060329 taichi
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