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- 2006年01月19日(木) ∨前の日記--∧次の日記
- 岐路 2006。




 人生って結局のところ、

 限られた「空間」と「時間」の中で、

「金」と「心」をマネジメントしながら、

「幸せ」を求める短い旅。

 
 ひとりで生きるなら、

「金」と「心」、どちらに生きるか?

「自分」のために生きるか?

「他人」のために生きるか?

 目指す「己の幸せ」は何なのか?


 見極める年、2006年。






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慌ただしく新しい一年が始まっている。
特にここ数日は騒がしいこと…。

アネハショックを引き起こしたオジャマモンの証人喚問は、
ホリエモンへの家宅捜索によるライブドアショックで隠されて、
IT関連銘柄、株価全面安。一方、不動産関連は比較的堅調・・・。
このタイミングはまさに、IT業界を盾にしてでも、
利権の宝庫である不動産業界を守りたい政府の狙い通り?!

…などといった刺激的なニュースが、
続々と巷を騒がせている今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか?

そんな中、本日は、誠に私事で恐縮ではございますが、
年末年始から(いやもっと前から…)私がずっと考えていることを、
「今年の抱負」の意味も含めて書いてみたいと思う今日この頃…。





昨年一年間は、私にとって「停滞の一年」「ディフェンシブな一年」であった。
しかし、リアル&ネットを含め色々な方との交流、励まし、一人旅、趣味、
そしてワンコとの時間などで、何とか過ごしてきた一年だったと思っている。

さて、新しい年、
とにかくまず、はっきりしているのは、「動く」一年だということ。
ずっと止まっていたので、いいかげん動きますか!、ということである。

色んな意味で「動きたい」と思う。仕事、人間関係、趣味、生活などなど。
モノによっては、実現は来年以降かもしれないが、少なくとも取組みは今年からだ。

しかし問題は「動き方」の前に、
「どう生きるか」を決めないといけない。

これを悩んでいる。





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ハラはこれまで、「誰かのために生きたい」という志向だった。
「誰か」というのは、自分以外の誰かのこと。

それはやっぱり恋人であり、生涯のパートナーのためであり、
そして家族ということでしょう。親友というのもあると思う。とにかく、
自分のそばにいる大切な人が幸せを感じる時、私は幸せを感じる人なのです。

そばにいる人に「幸せでない、つらい」と云われる事は、私にとって一大事だが、
どこかの誰かに「あなたは冴えないダメな人ね」と云われても、どうでもいい。

パートナーのために生きる…つまり、「ひとり」でなく「ふたり」で生きる、
そういう志向で生きてきた。

今でもその方が、私には居心地よいし、幸せを感じるが、
しかし年を重ねてくると、同じ物事でも別の側面から見る事を余儀なくされる。





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もう一つの生き方はもちろん、《ひとりで生きる》という生き方。
それは「自分のために」生きるということ。今までは全くピンと来なかった。今でもそう。

ちなみにこれは「独身のまま生きる」という事だけを意味しているのではない。
一生の伴侶がいても、自分のやりたい事を中心に生きていく、ということ。
そばにいる人には、最低限の交流とサポートはするが、あくまで自分がベースなのだ。

これって、IT社長に代表される世の仕事人間は殆どそうであろう。
経営者という部類の人達は、少なからずそうならざるを得ない。
また、芸能人、アーティストといった部類の人達もそうだ。

いずれにしても、こういった世界の男女は、全てがそうだとはいわないが、
やりたいことを思う存分やれる権利を持つ代わりに、夫婦の交流を諦めている確信犯か、
夫は十分にケアしているつもりだが、妻には全く通じてないという悲しい一方通行か、
全く結婚する気がないか、既婚・未婚関係なくいずれにしても「ひとり」で生きたい人達だ。

上手くいくのは、多分オトコもオンナも両方とも「ひとり」で生きる人間同士で、
要所だけの交流さえあれば、十分にカップルとして成立する例であろう。それしかない。
でもハラ的には「要所」って何?いつ?という感想。家庭内ながら時々逢う恋人という感じか?

とにかく、結婚しながらも「ひとり」の生き方は私には出来ない。
たとえ私に、苦労してでも自分についてきてくれるという伴侶が見つかって、結婚生活をしながら、
自分のやりたいことを思う存分できる環境ができたとしても無理だ。気になって打ち込めないだろう。
そもそも、誰かと一緒になるという選択肢をとるのならば、「ながら」は無理だし、やりたい事も
どうでもよくなるので、自分のやりたいことをする時間よりも、パートナーとの時間に全てを割く。
真逆だ。結局私は、誰かと結婚する限り「ふたり」で生きる方をとる。

ちなみに誤解するといけないので云っておくと、
私は相手に、自分と同じスタンスを強要する気はない。やりたい事をやってもらって構わない。
私がそれに合わせればいいのである。必要なのは、パートナーで有り続けるという「信頼」。
これすら示されないと、何ひとつ、二人を結ぶものを意識する事ができないので、付き合いは無理。
これさえ示してくれれば、私は、目に見える相手の行動が「ひとり」でも、心は「ふたり」と感じられる。
相手を受け入れることは比較的柔軟なのだが、自分のスタンスに関しては頑固で変えられないのだ。





私は本当に不器用な人間だ。
誰かに《今年の目標は「器用になれ」だ!》…と云われてもそれは無理。直らない。
「ふたり」と「ひとり」…2つの中庸をとって上手く生きるなんて無理だ。

しかし、もし今の私に「人生をかけてでもやりたい事」があるのなら、
今日現在のハラの身分は、何のしがらみもなくそれに打ち込める。
さて、その「やりたい事」は何か?「人生をかける」ほどに…。

実際、そういう事が無い事もない…というか色々とある。
幾つか考えているし、実際に取りかかってることもある。しかし・・・・、

それが、誰かを大切にして生きること以上に、
人生をかけること程の事なのかどうかが分からない。





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どちらの道を選択するにしても、冒頭で云ったように、

人生とは、限られた「空間」と「時間」の中で、
「頭」と「体」を使って、「金」と「心」を管理しながら、
「幸せ」を得ようとする旅だと思う。




「空間」は、イコール「社会」。自分以外の人とモノと情報全てである。
「時間」は、相対的で主観的に感じる時間。満足度の高い人ほど時間は早く流れていく。

「頭」というのは、脳を動かして何かを考える行為を指す。
「体」というのは、身体を物理的に動かす行為を指している。

「金」は、生きるために必要な衣食住に始まり、治療、癒し、解決、教育、育児、介護、
さらに快楽、表現等の欲求実現…これらを得るために必要なモノ。言い換えれば、
生活に必要十分な物質・サービスを、「金」として一つにまとめて云っている。

「心」は、生きたいと思うことに始まり、何かをしたいというモチベーションを指す。
自分でありたいと思う気持ち。自分を愛する気持ち。自分以外の他人を愛する気持ち。
周り(社会)と結びつきたいと思う気持ち。これが活動の根源となるもの。





一定時間が流れる間に、仮に自分がその場所に止まっていたならば、
空間(社会=人、モノ、情報)が、自分から遠ざっていることを意味する。
人から疎遠になり、モノは劣化して古くなり、情報から時代遅れになっていくのだ。

したがって、時間の流れに合わせて、自らも最低限動く必要がある。そうして、
流れる時間に合わせて自分を維持するだけで、「金」と「心」を消費していく。
このお金が「生活費」であり、この心は「アイデンティティ(社会の中での自我)」である。

生活を維持し、アイデンティティは常に最新の社会と向き合っていなければ意味がない。
それが、社会で己を維持するために最低限行う「金」と「心」のマネジメントであろう。




それだけを何とかやってきたのが、私の昨年一年間であった。





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今年からは、時間の流れよりも早く自分を進ませることを心がけたい。
空間(=社会)に近づき、追い越し、向こうから自分に近づいてくるようにする。
そうなった場合に始めて、「金」と「心」が、消費から獲得に転化するだろう。
より近づくために必要なことが、「頭」と「体」を動かす事だ。

ここで云う「動かす」という意味は、「社会に近づくように働きかける」という意味。
自宅で考え事や趣味、またはエクササイズをしている事は、あくまで自慰行為の域を出ない。
そうして考え得た着想や管理された身体を、自分以外の空間(=社会)に対して働きかけ、
社会に提供した時に始めて、《「頭」と「体」を動かした》といえるのだろう。

私は昨年、生活を維持するだけで、仕事も自己啓発も自慰のレベルで終わっていた。
今年はそれをはっきりとカタチにして社会へ投資し、利益と(自他共に感じる)満足を
得ていきたいと思っている。実際に得るのは来年以降だとしても今年から動かなければ。
そして、その得るもの・・・「金」と「心」の2つについてだが、
どちらを得る事を中心に動いていくか、これが前述した二つの方向性というわけだ。




「金」を得る活動を中心に自分の生活を高度標準化させることを目的とし、
「心」についても己の人間力向上を中心とした、《自分の満足》に絞った活動なのか?

「金」は、今より環境が向上すれば良しとして、あくまで中心とするのは、
《特定の人との強い結びつき》を求め、周囲との良好な関係を築く「心」の活動なのか?




どちらが、私の「幸せ」なのでしょう?・・・冒頭の言葉である。
それをまず決めたい。




060119
taichi



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