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- 2005年10月23日(日) ∨前の日記--∧次の日記
- 父の記憶。


「本当に済まない…ごめんな…ありがとな」


つい先日、ふと、父の電話の声を思い出しました。





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一週間前、私は髪の毛をバッサリ短く切りました。
おそらく、ここ10年で一番短くなったでしょう。そうして、
風呂上がりに髪の短くなった自分の顔を鏡で見た時でした。その顔に、
遠い既視感を感じた時、それは昔の写真に映っていた父だと気づいたのです。
父はその写真に幼稚園の頃の私を連れて映っていました。写真に映る父は、
ちょうど今の私と同じ年ぐらいでしょう。今の私の髪は、昔と今との
アレンジの差はあれ、写真の父と同じ長さに切られていました。


こうして、父の記憶が溢れ出て来たのが、一週間前のことでした。




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父は破天荒な人でした。積極的に色んな仕事にチャレンジしていましたが、
一方で怪しげな付き合いもあって、母とよく喧嘩をしてたのを覚えています。
絵が上手く歌も上手なのですが、服の趣味は子供の私から見ても突飛でした。


小さい頃の私に、父はよく、
「人と同じ事をするな」「人を驚かせる事を常に考えろ」「途中で投げ出すな」
「やりたい事は我慢せずどんどんやれ」「人に誠実に。嘘だけは絶対につくな」
と云ってました。小さい時には意味が分からず、大きくなってから理解した
こともありますが、すべて覚えています。

「同じ事を…」「驚かせる…」は、私の発想志向の土台になってますが、
「我慢せず…」というのは、どうやら反面教師になっています。それは、
職を転々とする父に懸命についていった母の苦労を見ているからでした。
私は「我慢する」ことを覚えました。これは私のもう一つの土台です。


私は母の苦労を土台に、父の発想を携えて生きてきたのです。






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幼稚園の頃から小学生まで、私は父に怒鳴られながら育てられました。
理不尽なことや不誠実なことには、とことん厳しい父でした。

連絡も入れずに夜になるまで遊んで帰って来た時には、
父は般若のような顔で待ち構えていました。私を思いっきり殴って、
「バカ野郎!お母さん心配してんだ!遅くなるなら電話の一本も入れろ!」
と怒鳴られたりしたものでした。
また、上級生にいじめられて、悔しくて泣きながら帰って来た時は
父は私を殴って
「バカ野郎!喧嘩もしないで泣かされて帰って来たのか!それでも男か!」
と泣いている私をさらに叱りつけました。
子供ながらにあまりに悔しかった私は、次の日にその上級生と喧嘩をしました。
その夜父が「そうか!よくやった!負けてもいい。よくやった!」と
手放しで私を褒めました。父の嬉しそうな姿を今だに覚えてます。






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そんな父が、ある時を境に私を怒らなくなったのです。
このことは、最近になって気づきました。

中学2年生の頃に、私は父から「引越するかもしれない」と云われたのです。
当時、どちらかというと内向気味だった私は「絶対に引越したくない」と、
父に手紙で訴えました。受験の事もあったのですが、一番は友達の存在でした。
父は私に「そこまでお前が嫌なら引越はやめる」と云ってくれたのです。

しかし、その年の12月の事でした。結局引越をすることになったのです。
その頃、父がやっていた商売が失敗して、私たちは家を追われました。その時、
父に手を差し伸べてくれた人がいたのです。その人が家を用意してくれた家に
引越すことになったのですが、その家は学区外であったのです。

今考えれば実に仕方のない事情なのですが、当時の私には全く理解出来ず、
父が裏切ったと感じたのです。私もまだまだガキでした。その時から
私の反抗期が始まりました。私は父に対して一切口を聞かなくなりました。
父は痛烈な後ろめたさを、私に対して感じていたことと思います。
おそらくその頃からでしょう、父に怒られた記憶が無いのです。
その頃から大人になるまで、私の中で父の存在が希薄になっていったのです。

高校受験、入学、野球部の活動、そして大学受験と、人生の中で大切な時期に、
私には父の記憶があまり無いのです。しかし、今考えれば、この大切な時期に
父は私の高校の授業料を払い、野球で使うユニフォームやグローブ、スパイクを
買わせて、そして大学の入学費や授業料を払っているのです。それらを払うために
汗水流して働いて来たはずなのです。しかし私にはその頃の父の記憶がない…。

なんて罪深きことなのでしょうか…。





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高校を経て、私は東京の大学に入学しました。初めて親元を離れたのです。
そして、お盆の季節に初めて実家へ帰省した時、私は愕然としました。
父が一気に老けたと感じたのです。全く初めて受ける感覚であり、衝撃でした。
自分は「父は永遠に父として存在する」と信じていた子供だったのです。
「父は老けて、やがていなくなるのだ」と初めて気づいた瞬間でした。
息子を大学へ出したという安堵もあるでしょうが、それ以上に私自身が、
如何にずっと父のことを無視し続けてきたかを、思い知らされました。



「オヤジ、飲むか?」

…と父のグラスにビールを傾けてたのが、年の暮れ、次に帰省した時でした。
父は嬉しそうな顔をして、饒舌に色々な話をしてくれました。しかし私の中で、
長い間コミュニケーションを閉ざしてきた根は深く、父に対してなかなか心を
オープンに出来ずに、自分自身を歯痒く感じていたのを覚えています。

私は考えました。帰省する度に、父に誰かを逢わせようとしました。
高校時代のクラスの友達、元野球部の同僚、そして東京で付き合っている彼女…。
父は幸せ一杯な顔で、私が連れてきた友人を「接待」していました。

「東京の友人を連れて、朝そっちに着くから」と私が連絡を入れた時でした。
実家に着いて玄関をくぐり、私と友人がリビングの戸を開けると、すでに父が
今にも注ぐぞという角度でビンを持って、テーブルの前に座っていました。
「おう、二人とも早く座ってグラスを持って!もうこぼれちゃうよ!
電話がきた時から、少しずつビンを傾けてたんだよ、間に合ってよかったなー」
と云いながら、父は朝から私たちを手荒に出迎えたこともありました。


父は人一倍、人と接するのが大好きな人間だったのです。
接待させたら右に出る者はいないと云う程、コミュニケーションが好きでした。
相手が息子の友人となれば、父にとって格別に幸せな事だったのでしょう。
そう考えると、息子と交流できなかった数年間が、父にとってどれだけ
つらい事であったかを、今頃ながら想い知らされます。





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大学時代に、父は急激に老いてゆき、身体が弱くなっていきました。
昔から父は、通風という持病を持っていましたが、新たに心房細動という
持病を抱え始めたのです。これは大変厄介な病状でして、血の濃度が安定せず、
時に血栓と呼ばれる塊を血管内に放出するのです。臓器内の毛細血管で止まると
臓器梗塞を誘発させます。そのために父は度々入院をするようになりました。

私は東京で就職をして、多忙な日々を過ごし始めました。
お盆や正月にも時々帰れない時がありました。父は入退院を繰り返し、
普通に家に居る時でさえも、毎日12種類の薬を飲まなければなりませんでした。
薬の力で健常を保ちながら、会社へ行って働いていたのです。

当然ながら病院代もかさみました。今になって知る事となったのですが、
両親は私に内緒で多額の借金をしていたのです(今それはゼロになっていますが…)。
それでも費用は足らず、私も度々数十万円を借金して実家に送っていました。
しかし父は、みるみるうちに痩せ細り、体力は弱っていく一方でした。

父はとても頑固でカッコつけるところがあり、母と我々兄弟が知る以上に、
病気に対する自分の気持ちを家族に隠していたはずです。ずっと東京に居た私は、
度重なる送金や盆正月の帰省よりも、地元へUターン転職するなど、
もっとこの時にするべき決断があったのではないかと、今だに思います。

「俺も長くないから」「遺言を聞いてくれ」「俺なんかいない方がいい…」
といった言葉が、頑固でカッコつけな父の口から出て来始めた時、
私も母も現実的な覚悟をし始めました。






*********************************






一昨年、まだ底寒い2月末の頃でした。
仕事中の私のケータイに、父から電話がありました。
こんな内容の会話であったことを、事後しばらく経って思い出しました。




===============


「お〜元気か〜、なんかまた母さんが、お前にお金を頼んだみたいだな…
25万も済まない…『あいつに迷惑かけるなっ』って俺怒ったんだけどよ」

「何云ってんだ!お袋を怒んなって。めっちゃ困ってたんだぞ。いいんだよ。
仕様がないじゃん、かかるものはかかんだから。オヤジは治す事だけ考えろよ」

「本当に済まない…済まないな…」

「謝んなって…、んじゃ…ちょっと仕事の途中だからさ…また電話するわ」

「おうスマンな。そうだ、彼女は元気か?、今度のGWとか彼女連れてこいや」

「彼女も元気だよ。あ〜GWは無理だな…仕事だわ…まあお盆にでもね…」

「そうか〜、ま〜父さんもGWまで元気かどうか分からねーからなぁ〜」

「バカ云うなって!、そういう気持ちだと治んねーからさ、頼むよ。」

「そうだな…、お、スマン、仕事だよな…切るぞ、元気でやれよ」

「また電話するよ」

「本当に済まない…ごめんな…ありがとな」


===============






これが、私が最後に聞いた、父の肉声でした。







***********************************





父から最後の電話があって1ヶ月後、
4月初頭に、父は脳梗塞で亡くなりました。

父は夜中に倒れました。次の日の午前に
私が病院に駆けつけた時は、危篤状態でした。

脳梗塞が悪化し、担当医から脳死状態が告げられ、
延命手術を施すかどうかの決断を迫られました。

その場にいたのは母と私と弟と叔父。
母は決断できる状態に既に無く、我々3人に委ねられました。





走馬灯という言葉が、この時のためにあると感じました。
小さい頃の父との想い出や、父の教えが脳裏に浮かんだのです。
「人と同じ事をするな」「人を驚かせる事を常に考えろ」「途中で投げ出すな」
「やりたい事は我慢せずどんどんやれ」「人に誠実に。嘘だけは絶対につくな」
私の人生で、父の云ってた事がどのくらい出来たかを考えました。

そして、一番大事な時期に、父とコミュニケーションを断った事、
どんなに後悔しても埋まらない時間…。
それから、父が一番嬉しそうであった瞬間を想い出しました。
最後に、父へしてあげられなかった無念が胸を突き上げました。




感謝の想いと申し訳ない気持ちが一つになって
私の頭の中をぐるぐると回っていました。

臓器は生きている。肉体は生きている。しかし脳はもう戻らない。
父の意識はもう戻らない。大好きな事ももう出来ない。
もう父は、己を感じる事も、私たちを感じる事も出来ない…。

そうして私は、私の判断で、父の死を決めたのです。




叔父も弟も同意しました。
母は泣きながら「皆がそう云うなら」と頷きました。
4人で同意書にサインした後、
医師が、父の延命装置を取り外しました。






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私が聞いた父の最後の言葉、「ごめんな…ありがとな」は、
今だにその言葉だけが残想として漂っています。

家族への無念の気持ちと感謝の想いが、同化して入り交じった感情でした。
それは、私が父の死を決断した時の感情と、全く同じものだったはずです。

延命装置を取り外して13時間後に息を引き取るまで、
私は父に、「ごめんな…ありがとう」を繰り返し想いました。
それは単に「死ぬな!」と泣き叫ぶことより大事だったのです。

人間、生きててこそ、健康であってこそ、
想いを携え、相手を想い、想いを成就させられるのです。

父の無念を己の信念に託して、私の家族へ、愛する人へ、遂げたい。
父に捧げた同じだけの感謝を、私の家族に、愛する人に、伝えたい。

そう想って、私は死ぬまで生きます。



051023
taichi




今日の日記のURL
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=103297&pg=20051023
...
    

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