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- 2004年10月30日(土)
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- 犬エッセイ《ダックス・イン・ザ・パーク》―4―「しつけ」
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ダックス・イン・ザ・パーク DACHS IN THE PARK
ハラタイチ 書き下ろしロングエッセイ―その4―
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別名「犬バカ日誌4」。
4
(1を読んでいない方へ。 注…「お嬢」=「彼の愛犬であるメスのミニチュアダックス」)
秋の長雨を多分に含んでいる肥沃な土の薫り、落ち葉や小枝、足元で粘り強く生きる雑草など、 お嬢にとって、目に見えるものや歩くと足元で音を立てるもの、鼻腔を刺激するものの全てが新鮮 なのだろう。犬に持ち前の好奇心が行動を支配して、お嬢はあちこちへ身体を向けようとする。
リードウォークと云われる犬のしつけがある。飼い主の横を常に一定のリズムで歩かせる しつけである。これが出来ている犬の散歩姿を見ると、それだけでその犬も飼い主も、とても セレブに見えてしまうのである。「キマッている」感じなのだ。この状態を創り出すためには、 まず飼い主が犬にとって「飼い主らしく」映っていなければならない。
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もともと犬は、集団で生活する動物であったため、思考や行動の単位は「群れ」である。つまり、 群れのという社会の中で「リーダーは誰で、誰々は何番目で、自分はどこにいて…」という事を 常日頃考えようとする。だから、犬の好きなようにさせてばかりいるとつけあがってしまい、 終いには「飼い主はあたしの云う事を何でも聞く。すなわち、奴よりあたしの方が上よ」と解釈する。 この指向性をいわゆる「アルファー症」というのだが、これが強くなるとしつけが難しくなる。
人間もそうだが、生まれた時は誰でも「ジコチュー」であり、自分の思うがまま何でもやりたい、 と思っているものである。幼児の言動を見てればよく分かるだろう。ペットの行動とさほど変わらない。 それが、成長するに従って人間は、社会と自分と折り合いをつけなければ生きていけない事を覚える。 そして何に自分を貫き、何を我慢するかを決めていく。自分で決めた物差しに従ううちに安定化して 社会と折り合ってくる。我慢しているものがある故に、己を貫いているものは「個性」として社会に 認められるのである。そして「我慢」であった行為は「我慢」でなくなり、いつしか標準化されていく。 こうして、社会的動物としてのキャラクターが成熟していくのである。社会的動物という観点では、 人間も犬も同じである。つまり、これが「しつけ」である。「かわい〜かわい〜」ばっかりもいいが、 適度に厳しく欲求を抑えないと、犬は「自分の頼るべき人が誰で、どういう時にどうすればいいのか」 が分からないまま大人(成犬)になってしまう。
リードウォークに話を戻すと、リードを持つ人間を、犬が「飼い主」だと認めている状態で初めて リードウォークは成立する。つまりは飼い主の歩く速さや方向に「合わせて」、犬が自然に歩くように 仕向けるしつけなのだ。この「合わせて」というのがポイントである。だから、自分勝手に行動しよう とする犬を、なるべく「不可抗力的に」制するのがベスト。犬が前へ出た時に回り込むなどして、 「あれ、何か知らないけどあたし、いつも飼い主の足元の横を歩いているわ」と、犬に自然に思わせる のである。また、ある程度はリードで強引に制さなければならない。時には、思い通りにさせてあげる のも必要。つまりは「飴とムチ」のバランスが、人間の教育同様にとても微妙で重要なのである。
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前置きが長くなったが、公園の木々の中を彼とお嬢は、そんな事を繰り返しつつ少しずつ前へ進んでいた。 しかし、ペットカフェへ行く時もそうであったが、お嬢は以外にもごく自然に彼の後を付いて来ている。 興味ある何かを見つけたお嬢が立ち止まって、後ろにリードが引っ張られることはたまにあるものの、 少なくとも、飼い主より先に出ようとしてリードが前に引っ張られるようなことはない。 以前のブラックタンのオス犬の時は前へ引っ張られる事がよくあった。それに関してはおそらく、 オスとメスのアルファー度に生まれながらの差があって、その違いが出ているのだと彼は思っていた。
樹の幹と幹の間をすり抜けながら、彼とお嬢は園内の芝生広場を目指して歩いていった。 彼は、足元の横か後ろのベストポジションを、お嬢がある一定時間キープして歩き続けられたら、 一旦立ち止まり、ご褒美のおやつをお嬢にくれてやった。これを何度か繰り返して、 (こうして素直に歩いていると何か良い事がある)と犬に思わせるのが目的であるのだが、お嬢は、 キョトンとして、(何でもらえるのか分からないけどうれしい!もっとよこせ!)という顔をしていた。
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木々が開けて、芝生広場の入り口に出た。 正面には、ビルの二階相当の高さがある白い大屋根のキャノピーがあり、その下にはベンチと思われる 立方体の塊が点在している。屋根の下には数組の家族連れが想い想いの時間を過ごしていた。
その大屋根の向こうに広がっていたのは、ニューヨークのセントラルパークの写真を思い出させる 広大な芝生の広場であった。空色と緑のコントラスト――ただそれだけの色彩が、目を心地よくさせる。 敷き詰められた緑の絨毯は、二つの季節を経てさすがに痛み始めている。 しかし、景観全体を通して眺めると、表面の痛んで薄くなった草色が、敷き詰められた緑に柔らかさを 与えているかのように彼には感じられた。その上で子供や犬が跳ね、老夫婦やカップルが移ろい、 たくさんの人々が、それぞれの想いをめぐらせながら芝の感触と薫りを愉しんでいた。
(5へつづく)
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