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我が家のサイドボードの引き出しの中に、赤いグラスが1個ある。 細身の真っ赤なグラス。とても美しい赤だ。
『旅情』と言う映画があった。♪ベ〜ニ〜ス〜の恋は〜♪と、今でもカラオケのある スナックで たまに親父さんが歌っていたりもするこの映画は まんま水の都ベニスが 舞台で、言ってしまえば元も子もないが 不倫の映画だ。 確か、中学生くらいの頃に これを見た私は「いやっ不潔よっ」 とか思ってしまい 特に感動もしなかったので それ以来、二度と観てはいない。 だから、それに真っ赤なヴェネチアングラスが出て来ていたのも全く憶えてはいなかった。
ところが両親の世代となると、これが正に青春の思い出映画。 真っ赤なヴェネチアングラスは 彼らの頭の中に 鮮烈な印象を残したらしい。 テレビもあったかどうか、あっても白黒をご近所で集まって見てた時代だったしね。
父は趣味の少ない人だが、体力はあるので 旅行に良く行く。年に一度2週間ほど かけてヨーロッパの幾つかの国に遊びに行くようだが、コースは毎年違う。 一応名目は仕事絡みなので、多いのは北欧、ここは食べ物に塩漬けが多いそうだ。 好きなのはチェコだと言うが、ここはガラス製品が有名である。ボヘミアングラス は金やエナメルみたいな素材で綺麗な装飾を施された、どちらかと言うとインテリア向き の派手なデザインが多い。これを買い込み、飾ったり配ったりしている。
ベニスにも 何年かに一度は行くようだが、どう言うわけか、ガラス製品を買って来ない。 「高価いからだ」 と父は言うが、1個くらいは買えるだろうにさ・・・と思っていたら、ある年 赤いグラスを1個持って帰って来た。
「これは『旅情』に出てくるグラスと同じ工房で作ったものだ」 私には「???」だったが、まるで合言葉のように 母が反応した。 「ああ、本当だわ。この色が」
ヴェネチアンレッドと言うその赤は、深みのある何とも言えない色をしている。 金が入っているとか、確かそんな話を聞いた。とにかく、綺麗な赤だった。 でもってお高価い。 「もう1個欲しかったけど 売り切れてしまったのだ」 日本人はここでも結構いいお客さんらしい。ン万円するグラスがぼんぼんと売れるようだ。 映画に使われたサイズより小振りだと言うそれは、だが色味を見るためには十分な 物で 形も洗練されていて美しかった。
私はこのグラスが一目で気に入った。きっかけにして映画を観る気には、特にならなかったが。 「さあ、どこに飾ろうか」 と言う父に、母と二人で反対する。「このまま仕舞っておこう。割れるかも知れないから」 「飾らなきゃ見る事も出来ないだろう」 と父。 「たまにこっそり出して見ればいいじゃん」と、貧乏くさい事を言う私。 その時、母が信じられない発言をした。 「そうだ、裏にガムテープを貼って倒れないようにして飾ればいいんだ!」 いくないわっ。それにそれを言うなら両面テープだろう。
結局、引き出しに仕舞って こっそり取り出して見ると言う 私の貧乏くさい案が通った。 グラスは仕舞われ、やがて忘れられた。そんなもんである。
今年は デジカメで花以外にも色々な写真を撮ってみようと考えていた時に、久しぶりに グラスの事を思い出した。だが私の写真技術であの色がちゃんと出るのか、幾ら今時の デジカメ性能が良いとは言え自信がない。目はやはり、心と直結した素晴らしいカメラだ。
我が家は全員が光り物好きだが、ガラス製品も光るので好まれる。 スウェーデンもガラスや水晶を使った工芸品の多い国らしい。
父は旅行好きだが、他の家族は全くである。北海道を出ようとしない。 私は一度だけ、オーストラリアに遊びに行ったが、コアラが思ったより臭かったのが 一番深い部分で記憶に残った。
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