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2004年12月31日(金) せめて良い話。


当の昔に故人となっているが 母方の祖父は明治の生まれの人で、昭和天皇が
正月 テレビに映ると「よお、天ちゃん」と手を振り返しては姑である曾祖母の
不興を買っていたらしい。その曾祖母もやはり明治の生まれであるが、お姿が
画面に映ると「有難い、有難い」と言って正座してひれ伏していたと言う。
テレビのある家にご近所が大集合すると言うそんな時代だ。
曾祖母は「新選組!」でぐっさん演じる永倉新八が 晩年暮らした小樽の街で
案外ご近所で同じ時代を生きた人だ。永倉より全然年は若いのだが。
「よお天ちゃん」の祖父が天皇陛下を小馬鹿にしてそんな事を言ったのかと言うと
そんな事は無い訳で、それが祖父なりの敬意と親しみの表現だったのだろうと
周囲は言う。船会社勤務だった祖父は戦時中乗っている船が撃沈され、髭剃り一本
だけ持って泳いで逃げた人だ。我が家では今も余りな時に余りな行動を取ると
「ひげそり一本持って逃げるような」と言われる。
天皇に戦争責任と言うのはもっと後の生まれの人達の世になって交わされる様に
なった話であり、祖父や曾祖母にとっての天皇陛下は手を振ったりひれ伏したり
する、有難かったり 敬意を表したりする存在であったらしい。

平成天皇は親とほぼ同世代、皇太子や秋篠宮、紀宮はこちらと同世代と言う事で
本質的に開かれていようがいまいが、微妙な親近感漂う今の皇室だ。
紀宮の婚約も「まあ、良かった」と何となく思う。お兄ちゃんの秋篠宮が
「誰かいい人いませんか?」みたいな事を聞いていたと言うエピソードも 事実
だったら微笑ましい。結婚する気が無い人が強引にと言うのはよくないが、気の
合った人と巡り合えたのなら何よりだ。お嫁さんになるよりは娘さんを貰う方が
皇室に関して言えば まだちょっとは楽そうに思えるし。

開かれた皇室をこちらも望み、皇室内部の中にも望んでいる人がいたのなら
希望通りと言うか、開かれて来ている気がする今日この頃だ。
開かれ過ぎて、一般の家庭と同じレベルで論じられたりしているし。
「お姑さんのお誕生日に行かないで自分の身内の葬式に出るってどうよ」とか
「弟余計な事言いすぎ」 「いや、宣戦布告したのは向こうだし」とか。
「親を悲しませちゃあいけないなあ」とか。
「お嫁さんが来たらいきなり反抗期に出る長男って居るよね」とか。
じいちゃん、ばあちゃんの頃とは隔世の感があるのはこちらも皇室側も同じなの
かもねえ。私の周囲は、兄弟五分五分。ただ親を悲しませちゃあと言う所で妙に
一致しているのは 実感と言うよりは両陛下のご人徳か。
そんな中でひょろんと皇室を抜けて行かれる紀宮は外から両親を支えると言う
立場を取られるのだろう。年末に両陛下にも嬉しい話題だったに違い無い。
皇室なんか要らないと言う人もいるけれど、ちゃんとした外交の出来る政治家の
奥さんとか想像も出来ないし、言葉喋れればいいってもんでも無いからね。
日本人の美徳を広く伝えるお仕事をしてくれる人って必要だと思う。
紀宮の会見での綺麗な日本語を聞いてつくづく思いました。
災害や事件でいやな年の瀬の会見でしたが、お幸せに。

そして皆様、よいお年をお迎え下さい。





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