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私には死とか臨終とかがタイトルに入った本を迷わず買ってしまうと言う癖がある。 但し、ホラーと推理小説は別、実録物に限るのだ。悪趣味だと言う人も居るに違い無い、 いや 随分言われたし。山田風太郎『人間臨終図鑑上、中、下』(徳間文庫)、桑原稲敏 『往生際の達人』(新潮文庫)、荒俣宏『知識人99人の死に方』(角川ソフィア文庫) 全部読めばきっと 頭の中が著名人の死でぎっしりする事請け合いです。 各々 得意とされる分野の違う人達がこぞって死を集め、描いている。僅か1頁に満たない 文章の中に、生と死が凝縮されている。人の一生は上手な人が書くと1頁以内にも凝縮できる 物なのだ。私の文は何時も無駄に長過ぎなんだな、あいたたた。 残した業績は そのまま生の証として書かれる事が多い。古今東西の著名人が列を為している。 『往生際の達人』などは一人に費やす文章は僅か3〜4行。黙って読み続けると まるで経文でも 読んでいるかの様な不思議な錯覚に捉われる。どんな人間も、死からは何としても逃れられない のだと言う事を、荒俣氏の本の 手塚治虫氏の項では実感した。そうであるなら最期まで 使い切らないと何となく勿体無いし、何だか申し訳無いと言う気分にもなる。
『サラブレッド101頭の死に方』(徳間文庫)。いきなり馬の話だが、死と言う文字を見て 反射的に買ってしまった一冊だ。サラブレッドって何で死ぬんだろう?そもそも馬って 何年くらい生きるの?同じ『死』と言う文字が、こちらは小学生の様な純粋な好奇心を 呼び起こした。サラブレッドって競馬場で走ってるアレくらいとしか知らなかったんだよね、 まあ今でも大差無いと言えばそうなんだけど。 馬の寿命は25~30年。名馬シンザンは長寿記録で36年。目一杯生きて人間で働き盛りくらい。 そんなもんなの?と言う微妙な長さだ。この本の中に出て来るのは、華やかな表舞台に 一度は顔を出し、人々の喝采を浴び そして消えて行った『ごく一握りの』馬達だ。 必ずしも全てが名馬と呼ばれる成績は残していないがここに載せられるだけの何か はあった馬達なのだ。人の死を巡る物語とは無論、一緒くたにして語る事は出来ない。 彼らは言葉を残せない。走る事こそが競走馬の生の証なのだ。
私は正直言って馬は怖かった。昨日は、蛾が怖かったと言っていたが馬も怖かったのである。 まず歯が怖いのだ、噛みそうだから。実際噛むらしいし。鼻も怖いのだ、穴が大き過ぎるから。 近くで見ると穴に拳が入りそうである。入れた事は無いが多分入るんだろう。 『101頭の死に方』の表紙は一頭のサラブレッドの顔である。初めて私は 馬の顔をちゃんと 見た気がした。その馬は綺麗な目をしていた。目がちゃんとカメラの方を向いていて 写真映りも ばっちりだった。カバーの袖を見るとライスシャワーと書いてある。7歳と言う、うちの ボタンインコのオーちゃんより2年も短い生涯を ドラマチックに走り抜けて行ったお馬さんだ (オーちゃんの方はまだ元気である)。サラブレッドの耳があんなに綺麗だとは知らなかった。 その形の美しさには ちょっと感動すら覚えた。 この馬の顔に惹かれて、私は往年のレースのビデオを借りて見る様になった。馬の名前や 姿を覚えると楽しい。10年以上も前のレースにテレビの前で声援を送る。今は彼らの産駒が 一線で走っている。何時の間にか、競馬中継も観る様になった。 だがそれだけだ、私は馬券を買わない。競馬ファンでは無いのである。馬産地北海道も 地方競馬の不振等多くの問題を抱えるらしい。だが、らしい止まりで私は馬券の一枚も 買わないのだ。賭け事はどうにも相性が悪い。もし相性が良かったら、誰に止められようが はまりまくっているに違い無いのだが。 とは言え、、賭けなくても良い物を賭けて しばしば負けていると言う事はある。
ところで競走馬の死因だが、この本ではさすがに一線で活躍した馬達ばかりなので現役中の骨折や 病気で数年で命を終えた馬が多い。腸が長く、ストレスに弱い動物なので「腸捻転」とか「胃破裂」 とか凄まじく苦しそうな病名が並ぶ。 だが、スポットライトを浴びずとも、特に病気にかからずとも 長く生きないサラブレッドも多いのだ。 彼らは元々家畜、華やかな舞台に出て来る者はやけに人間くさく感じる事もあるが、廃用として 飼料や食料となる馬達も多い。
☆さっぽろさとらんどにて息子。これ、今見ると危ないな、何か。息子はこの馬をタマモクロス と言う往年の名馬だと何故か思ってる。本物はもうこの世には居ないのだが。
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