| | |
2009年09月17日(木) 自分史を始めます。筋子のおにぎり |
色々考えるところがあって、 この日記を読んでいただいている方には、 お目汚し…となるでしょうが、 少々、昔のことも書いていこうかと思います。
諸行無常。 わがみよにふる。 はなのちるらむ。 です。(全く説明になってない。意味不明じゃーーーー)
いつもの日記に「かませて」たまに挿入いたします。
登場したら「あぁ、またか…」と呆れていただけたら幸いです。
こんな感じ。
一、 幼少期 筋子のおにぎり
雪深い町に生まれ育った。 3才の私の世話をしてくれる人は、何人かいた。 伯母ふたり、祖母、祖父、曾祖母、近所のおばちゃん。 誰が自分の母親なのか? たぶん「ママ」と呼ぶあの人が母なのだろう。
「ママ」は、ほとんど私のそばにはいない。
仕事に出かける母の後ろ姿を追って、 「ママ!ママ!」と、ドアにへばりついて数知れず泣いた。 泣いている私の後ろで、祖母が困った顔で立ちつくしていた。
母は、冬になると私の手を引いて汽車に乗った。
早朝、夜もまだ明けぬ頃、 筋子のおにぎりを何個も握り、新聞紙に包んで汽車に乗る。
無口な母と無口な私。 汽車に乗ると、待ちかねたように、 淡々と、筋子のおにぎりをほおばる。
その時間は、中年と呼ばれる年齢に達した現在でも、 あざやかに記憶されている。
まだ温かみが残っている白いご飯。 食紅で真っ赤に彩られた筋子は、 温かいご飯に蒸されて、高貴な香りを発していた。
物資が少ない時代。 筋子のおにぎりは、最高に贅沢な食事だった。
母と二人で汽車に乗って向かう先は、苫小牧。 母の生まれ故郷。 製紙工場と漁がなりわいの、静かな町だ。 母の両親が住む町だ。
まだ1才の弟は、一足先に苫小牧で待っている。 母が働くのに赤子は邪魔なので、 母の両親の元に預けられていたのだ。
当時22才の母。 年に一度の里帰りは、心躍るイベントだった。
ーーーつづくーーー
|
|