| 2006年04月22日(土) |
リィン・カネィション |
ネットの世界は、果てしなく深い。
そして面妖だ。
その構成は、“都市”と酷似している。
街もネットワークも、人間が作り上げるものだが、それはまるで一つの人格を所有するかの如く、意思を持って広がり続ける。
その広がりの意義の中には、“死”も内包されている。
例えば、日本全国に“新”と冠された街が多数点在するが、イマイチ“新”に成り切れなかったりして、くたびれてたりする。
それは、意義を超えた意思なのだ。
草薙素子みたいな事を言っているが、例えば、会社。
会社、中でも株式会社などは“法人”と呼ばれている。
組織であり、二人以上が集まって形成される会社は、個人の所有する、
「もの」
ではなく、
「法のもと定められた一つの人格」であると定義づけられているのだ。
お寺などは、宗教法人、やっぱヒトだ。
病院。医療法人。やっぱヒトだ。
意思をもってするくくりをヒトと呼ぶのなら、街もネットワークもヒトだ。
だが、それらを牽引するのは、「人」だと言う考え方は、傲慢だ。
ニューヨークの地下鉄の落書きを消し続ける事で、犯罪の発生率がグンと下がったなど、街が活性化したり、衰退したりするが、僕たちは治療薬であったり、栄養であったり、はたまた毒であったりする。
結局のところ、僕は全くのアンチクライストだが、世界を構成しているプログラム、法則の総称を
「神」
と呼ぶのなら、神は存在すると思っている。
僕たちは、生かされている。
手のひらに乗り切らないものを消費していると、いつか天罰が下る。
天罰とは、めぐり合わせ、であると考えている。
良いおこない、悪い行い、悲しみ、喜び、苦しみ、全ては総量が決まっていて、溢れた分は返ってくる。
そう、思っている。
…、校長先生のお話でした。
*日射病で保健室に運ばれた生徒、多数。ラピ学園にはあらず。
|