トーキングFMサイドのお話がおもしろかったのでちょっとだけ。
ましゃもスタッフのみなさんも、若い男性社員などとの会話は、ちょっと苦手だそうな。
夢と理想がやたら高く、でも実力も実績も何も伴わなくて、ひたすら空回りしている感じが、
若い頃の自分を見ているようでイヤなんですって。
でもコミュニケーションをとらないわけにはいかない。ましゃはそういう時どうするかというと、
自分は先輩(の役)、相手は後輩(の役)、というプレイ(芝居)をしていると割り切るのだそう。
福「だって会社とかそうじゃん。部長と部下って、完全にそういう設定のプレイでしょ。
会社っていうのは、『役職』っていうけど、あれね、『配役』なんです。会社という芝居なんです。」
ス「あー。確かにそうですね。」
今「その役からはみ出ると、扱いにくい役者だな、ってことになるんですね。」
福「そう。台本に書いてないセリフをしゃべり出す、みたいなことですよ。(役に)はまれる人の方が
会社としては使いやすいし、会社もうまく回るわけです。」
ス「なるほどなー。わかりやすいな、それ。」 ←いたく納得している
福「うちの会社でもそうだよ? ずいぶん前に、大里さん(アミューズ現会長)ちに呼ばれてメシ食いに行ったの。
大里さんもシャイで、俺とふたりきりだと間が持たないから、部下をいっぱい呼んでたわけよ。
で、たくさん人が来て、その人たちを見てるうちに、ある法則があることに気づくわけ。
会長が『俺もいつまでもこの仕事できるわけじゃないんだから、お前らがちゃんと引き継いで、
福山を育てて売ってくれ』って言うと、『何言ってるんですか会長。もっとやってもらわなきゃ』って言うAさん。
『そうですよ。もうとっとと会社やめちゃってくださいよ』って言うBさん。
そのふたりの間で『いやいや、そんなことじゃなくて』って言ってるCさん。
配役が決まってて、どのトーク、どの状況の時も、役からブレないんだよね。」
ス「はぁー」(感嘆の声)
福「ヨイショする人はひたすらヨイショの配役なわけ。で、ツッこむ人はひたすらツッコミの配役で、
まとめる人はひたすらまとめるの。それを見て『芝居だ!これは舞台だ!』と思って。」
ス「ひゃっはっはっは! なるほど!」
福「野田MAPならぬ、大里MAPだと。だって、TOKYO-FMだってMAPあるでしょ?」
ス「MAPだらけですよ。太鼓持つ人もいれば、ニヒルにかます奴もいて。」
福「そうでしょ? そういう配役で決まってる人なのよ。」
ス「たしかに『芝居』というたとえで言われると、本当にその通りですね。わかりやすいなー。」
福「全部はまるでしょ? 演劇と一緒なのよ。
先輩後輩っていうのも、ある役者が若い衆を連れて飲みに行く時にその場にいたことがあるんだけど、
やっぱりそれもプレイなんだよね。先輩が若い役者たちに『実は俺悩んでて・・』なんて言うことは
ほとんどない。『最近どうなの? 何かあるなら言ってごらんよ』っていう聞き役的な感じじゃん。
それも芝居の振りで、それに乗れる後輩じゃないと、一緒に飲みには来ない。
たとえばしみちゃんと一緒に飲みに来る後輩は、しみちゃんからそう聞かれるのがわかってるから
たぶん『自分の近況』というセリフを事前に準備して来るわけよ。セリフ入ってるわけよ。」
その演技を続けるのは面倒くさいけど、どんな役をやるかは自分次第、さらに言えば、
どの劇団に所属するか、あるいは自分で劇団を立ち上げたっていいじゃない? と、
会社劇場、人生劇場のお話は続いていったのでした。
目からウロコでしたわ。
生きることは演じること、を誰もが日々実践しているのに、それに気づいていなかったとは。
「こんなの本当の自分じゃない」とか「うその自分を演じるのはイヤ」みたいなお悩みが、
バッサリ斬り捨てられたような、清々しささえ感じるご意見でした。
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