見事に完結してくれましたねー。
しかも、最後の最後にきてこんなに美しいラブストーリーになるとは。
あの包帯男の出現の理由が、咲ちゃんを助けたいためで、
それを導いてくれたのが龍馬さんだったとは!
仁先生と咲ちゃんと龍馬さんの関係だけでなく、
仁先生に共感し、支えてくれた人々との日々は、あれほどの涙を流しながらも
なんとも美しい多くの名場面を見せてくれました。
奇跡というのは、何の努力や涙もなしにぽっと与えられるものではなく、
とてつもない努力と純粋な願いのはてにようやく生み出されるのだ、ということも。
仁先生の頭のいい後輩がタイムスリップについて理路整然と解説してくれましたが、
(スリップした当の本人の方が色々驚きつつ質問しつつ、熱心に聴講している様子がらぶりー)
正直なところ、ぱられるわーるどとか、無限ループとか、この脳みそでは咀嚼しきれないことが
数多くあるのですが、でもそれはわりとどうでもいいというか。
別次元の世界がいくつあろうと、そこに仁先生や咲ちゃんが何人いようと、
今「自分」と認識できる自分が、今生きている場所でどう生きてきたか、だけが問題なので。
仁先生は元の現代に戻り、咲ちゃんはそのまま生き抜いて医の道を進みながら天寿をまっとうし、
結局ふたりが結ばれることはなかったという、とてもとても切ない結末でした。
しかも、仁先生が江戸から消えた途端、江戸の人たちから仁先生に関するすべての記憶は消し去られ、
歴史にも「南方仁」の名前は一切残されず、そしてそれを現代に戻って確認した仁先生の記憶も、
いずれはすべて失われてしまうなんて。
でも、失われたのは記憶だけ、とも言えるわけで。
仁友堂のみんなのその後の医学界における活躍、
咲ちゃんが守った医院と野風の子ども、現代日本における高度な医療保険制度、東洋内科の存在など、
今現在にいたるまでのありとあらゆる事実はすべて、仁先生が江戸にいた、ということの証明になっている。
誰も証明する人がいなくても、誰も覚えてなくても、誰も知らなくても、仁先生本人すら忘れたとしても、
仁先生がその後の世界を変えたことは、人々の記憶以外のすべてが明確に物語っている。
そして龍馬さんが言ってたように、全部忘れても、見えなくても、聞こえなくても、自分たちは一緒にいたし、
これからもずっと一緒にいるのだと。
これはいったい最高に淋しく悲しいことなのか、それとも最高に幸せで素晴らしいことなのか。
きっと両方なんだろうな。
「記憶」はかなり都合よく、忘れたり捏造できたりするとも言いますな。
こうだったらいいなー、と思っていただけのことを、いつのまにか「こうだった」と自分の脳に事実として
記憶させてしまうこともできるとか。
でも、魂にはすべての記憶がちゃんと正しく刻み込まれているから、死んで魂だけになっちゃったら、
もう自分自身に嘘はつけない、と、江原啓之さんの本で読んだことがありますよ。
咲ちゃんが、うっすらとでも仁先生を思い出せたのは、
まさしくこの魂の記憶を呼び起こしたような感じでした。
自分では自分のことを「お腹の中はまっくろ」とか言いながらも、心底から純粋でけなげで強くて、
まことの無償の愛のひと、咲ちゃん。そんな咲ちゃんだったからこそ起こせた小さな奇跡。
素敵なお手紙だったので書いておきましょう。
○○先生へ
先生、お元気でいらっしゃいますでしょうか
おかしな書き出しでございますことを深くお詫び申し上げます。
実は感染症から一命を取りとめた後、どうしても先生の名が思い出せず
先生方に確かめたところ、仁友堂にはそのような先生などおいでにならず
ここはわたくしたちが起こした治療所だと言われました。
何かがおかしい、そう思いながらも、わたくしもまた、次第にそのように思うようになりました。
夢でも見ていたのであろうと。
なれど、ある日のこと、見たこともない奇妙な銅の丸い板(10円玉)を見つけたのでございます。
その板を見ているうちに、わたくしはおぼろげに思い出しました。
ここには先生と呼ばれたお方が居たことを。
そのお方は、揚げだし豆腐がお好きであったこと
涙もろいお方であったこと
神のごとき手を持ち、なれど、けっして神などではなく、迷い、傷つき、お心を砕かれ
ひたすら懸命に治療にあたられる、仁をお持ちの人であったことを。
わたくしはそのお方に、この世で一番美しい夕日を頂きましたことを思い出しました。
もう お名もお顔も思い出せぬそのお方に、恋をしておりましたことを。
なれど きっと このままでは、わたくしはいつか、すべてを忘れてしまう。
この涙のわけまでも失ってしまう。
なぜか耳に残っている 修正力という言葉。
わたくしは、この思い出をなきものとされてしまう気がいたしました。
ならば、と、筆を執った次第にございます。
わたくしがこの出来事にあらがうすべはひとつ。
この思いを記すことでございます。
○○先生、あらためてここに書き留めさせていただきます。
橘咲は先生をお慕い申しておりました。
橘咲
この文を書き終えて、もうお顔も名前も思い出せない先生を思ってにっこり微笑む咲ちゃんと、
それを読んでだーだー泣きながらも
「わたしもですよ。咲さん。わたしも、お慕い申しておりました」と、
にっこり微笑む仁先生の時空を超えたツーショは、ちょっとズルすぎだと思います! 泣かせすぎです。
すべての記憶と記録が消し去られてもなお、
咲ちゃんのこの文だけは現代の仁先生にまでちゃんと届いたのですね。
咲ちゃんあっぱれ。
歴史に名を刻む、後世に名を残す、というのは確かに素晴らしいことですが、
名を残さずとも、この世界が良い方向へ向かうための実績だけを残した人は、数限りなくいるのでしょうね。
自分の意思で、わざと名を残さなかった人もいるだろうし、
仁先生のように自分以外の何らかの別の大きな意思によって名を消された人もいる。
でも、実績だけで十分ではありませぬか。
仁先生も、咲ちゃんも最高にカッコイイです。
名も実績も残した龍馬さんももちろんカッコイイですが!
江戸の人たちの意識を変えて、自分も成長して、その後の世界も変えて、
現代に戻ったら過去に自分の名前がないことを悲しむより、仁友堂のみんなの活躍を喜ぶ仁先生。
これからもやっぱり泣き虫でちょっと色々気が回らないだろうけど
江戸にいたことなんて忘れて、これまで以上に多くの人々の命を救い続けるだろう仁先生。
「仁をお持ちの人」の使命は、6年間の誰にも知られぬ素晴らしい経験を経て、
これからも脈々と続いてゆくのですね。
感想書いてるだけでも涙が出てきますよー。
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