2007年06月21日(木) |
コクーン歌舞伎『三人吉三』 |
面白かったっす!
歌舞伎いいなあ。下世話な言い方で申し訳ないが、日本にはこんなに面白い
大衆芸能が昔からあったことを本当に誇らしく思いましたよ。
すげー! すげーよ日本人! すげーよ江戸文化!
歌舞伎を見るのは実は中学生以来で、正直なところ台詞とか理解できなかったら
けっこう恥ずかしいよなー、とか、七五調の独特な言い回し聞いてカユい気分になったら
それも哀しいよなー、なんて思っていたのですが、まったく杞憂でしたわ。
耳に心地よい粋な言葉の数々、いつでもきっちり美しい所作、ドタバタではないけど
内に秘めたエネルギーを確実に感じさせる力強い動き、ユーモアにあふれたやりとり。
美しい衣装、聞こえてくる唄、三味線の音、一番単純なのに最高に場を盛り上げるツケの音
(二本の木の棒を板に打ち付けて出す音)、客の絶妙な掛け声・・・。
初心者が言うことではないのだが、素直に「これぞまさしく舞台の基本にして完成形」と思ったですよ。
伝統芸能は懐が深いですね。
ひとりの人間の一生なんかじゃ到底成し遂げられないことを、
芸を脈々と受け継ぐことで静かに確実に育てあげてきたのだから、凄くないわけがない。
役者さんはもちろん、その舞台を支えているすべての人たちの熱意にひれ伏したい気分。
「伝統」とか普段は全然考えませんが、「受け継ぐこと」「絶やさないこと」「守り続けること」
をちゃんとやってくれる人たちがいるから、客もこんなに楽しませてもらえるわけで。
大事に守り育てているその心意気をちゃんと受け取れる客であらねば、などと思ったほどです。
本当にそのくらい圧倒されました。
このコクーン歌舞伎というのが、演目といい劇場の小ささといい、
通にはもちろん初心者にもとても楽しめるものになっているようです。
『三人吉三』は、河竹黙阿弥という人が幕末の安政七年(1860)に書き下ろした
作品で、「吉三」という同じ名前を持つ3人の盗賊がひょんなところで
知り合い義兄弟の契りを交わすのだが、じつはこの3人は凄まじい因縁で結ばれていて・・・という、
「親の因果が子に報い」というか「テメエのしたことのオトシマエはテメエでしかつけられない」というか、
「仲間っていいね」(←いきなり軽い)というか、そんなあらすじ。 ←不親切な説明にもほどがある
なんたって中村勘三郎、中村橋之助、中村福助ですよ。初心者だって必ず知ってるお顔ですよ。
勘三郎はもう文句なしに凄すぎるし、橋之助オトコマエだし、
派手な振袖姿の福助は、世間知らずな小娘に化けたかと思えば
いきなり小梅太夫か?みたいなとんでもない面白さもあり。←小梅太夫にはなってないけど。念のため。
そして中村七之助が楚々としたキレイな娘でね。よよよ・・・ ←崩れ落ちるくらい可憐、
で、それに惚れちゃう中村勘太郎が若々しくてさわやかな青年でね。
たまには歌舞伎をお手本にした粋で古風な恋はいかがでしょう、お嬢様方。 ←すっかり傾倒
このおふたりがリアルで兄弟というのも、これからますます楽しみです。
そうそう! わたしは20日の昼を観たのですが、その前日の19日には
たっきーがご観劇だったそうですよ。
どんなジャンルの舞台をやるにしても、歌舞伎は総合的に素晴らしいお手本になるはず。
滝城がんばってくださいませ。
コクーン歌舞伎特有なつくりなのか、
1階客席の前半分は、「平場席」と言って座布団が敷いてあるのです。
だから客も当然靴を脱いでお座布団にぺたりと座って観劇。
で、役者は客席の通路を花道代わりにしょっちゅう行き来するのはもちろんなのですが、
通路と平場席の高さが同じだから、普通に座布団の間も歩いてしまうのですよ。
十三郎(勘太郎)を想うおとせ(七之助)が、恋焦がれるあまり足元もおぼつかず
ふらふらと客の間を歩き回ってみたり(ぎっしり満員なのにすげー自由に歩き回る)
大金を落して途方にくれた十三郎が、やはり放心状態で客の間に紛れ込んでしまい、
ついにはうなだれて自分も客の間に座り込んでしまうとか、本当に面白くて。
客も別に騒いだりよけたり掴んだりするでもなく、肩と肩がくっついてる位置で
芝居をしている役者をうれしそーにそのまんま観てる、
というのも実にいい雰囲気でした。
歌舞伎に興味を持つにはとても良いとっかかりとなりました。
わかりやすいところからぼちぼち馴染んで、いつか歌舞伎座でがっつり鑑賞できる
ようになれれば、と思います。
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