| 2005年12月12日(月) |
たっきー義経とのお別れ |
義経さまーーーっ!!!
逝ってしまわれた・・・。(号泣)
どのお気に入りドラマも最終回が近いわけですが、
義経の最期を見届ける気分は他とは違う重々しさがございまして、
土曜の夜あたりから、かなり神妙な想いでカウントダウンしてましたの。
先週水曜日には「ステラ」の
黛りんたろう氏とたっきーの対談を立ち読みしただけで泣きそうになるという、
例によって制作者の思い通りもはなはだしい視聴者やってるワタクシです。
鞍馬山に戻った義経の魂が、
遮那王の頃の若々しい姿で軽やかに山を駆け回る姿が、
本当に清清しく素敵なラストでしたわ。
なんてすっきりとしたいい表情で駆けてくるんだろう。
やれることはすべてやりきった、この命は生ききった、
という未練や遺恨のなさが、あんなにも美しい姿になって
すべての始まりである鞍馬山を風のように駆け抜けたのだね。
たっきーが義経の最期のシーンを撮り終えてから、
鞍馬寺にお参りして「無事終わりました」と報告した途端、
身体がすっと軽くなったのを感じたと、TVでも雑誌でも言ってましたが、
彼がこの一年間どれほど義経をがっしり背負っていたか、
実によくわかるエピソードでございます。
正義感と情にあふれた、こんなに美しくて凛々しい義経を
演じてくれれば、そりゃご本人も鞍馬山から降りてきて、
たっきーに一年間しっかりつきあって下さったのではないかと。
義経の命が再びまっとうされたことに、
心から満足して山に帰られたのではないかと。
最後に弁慶を見る眼差しの何と優しかったこと。
万感の想いを込めた表情というのはこのことだね。
お堂の中でひとりっきりで最期を迎えるまでの
表情も所作も、何と美しく、凛とした気品に満ち溢れていたこと。
その気高さと、この期におよんでもなお未来だけを見据えるまなざしが、
絶望感も悲壮感もすべて払拭したという感じです。
「清盛様も夢なかばでしたな」と、清盛と自分を重ねあわせる言葉も
お互い残念でしたな、というより、同志としてねぎらいつつ
「まだ終わりませんよ」という穏やかな決意にも聞こえてくるほどで。
よくもこんな素敵な義経を見せてくれましたわ、たっきー。
最初から最後まで一番身近にいて、演技のなにもかもをひとつのこらず
つぶさに見ていた演出の黛りんたろう氏に
「一年間、まるで夢の中にいるようでした」と言わせるなんて、
まさしく男が惚れる男そのものではございませんか。
義経がいなくなったのが寂しいというより、
たっきーがもはや義経ではないのがたまらなく寂しい。
義経でなくなったからって、たっきーが凛々しくなくなるとか
気品がなくなるとかじゃないんだけど、
でも義経だからこそ! だからこそ! だからこそ!(くどい)
そんな表情もそんな身のこなしも見れたのだからさ。
うう・・やっぱり寂しい。たまらなく寂しい。
この大役をつとめあげたことで
役者としても男としても、ひとまわりもふたまわりも大きくなったんだろうな。
「大河の主役をやった者にしかわからない」喜びも大変さも、
いつか是非、元新撰組組長近藤勇こと慎吾ちゃんと語り合えるといいね。
たっきー義経、長い間本当にお疲れさまでした。
なんだか鞍馬山(京都市)に行きたくなったよ。 ←ほれ、また思うツボに
でも遮那王が走ったロケ地は栃木県鹿沼市の加蘇山神社なのだそうだよ。
ああっ ドラマって!
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