12月2日に届いた『ぼくの靴音』を、ぼちぼち読んでおります。
1999年の最初の何本か以外はほとんど全部読んでいるはずなのですが、
こうやって改めて続けて読むと、本当に濃厚な文面。
ひと言で言うと、
堂本剛さんって本当に大変。
っつーか、
生きてるだけで大変。
もしわたしが剛さんみたいなインナーワールドの持ち主だったら、
生きていられないかも、と思いますもの。
いやー、あれはしんどい。しんどいぞー。
アーティストと言われる人たちは、多かれ少なかれそういう生き方なんだろうな。
誰のまわりにも本当にさまざまな感情が渦巻いているわけで、
それには当然、自分に向けられる優しさや好意もあれば、
まったく身に覚えのないねたみや悪意もあるわけで。
もう、いいかげんこれだけ生きていると、
心地よい感情はありがたく受け取って幸せな気持ちにさせてもらって、
悪意の方はできるだけしらんぷりさせていただいております。
しらんぷりできなくても
「悪いのはわたしじゃないもーん」と気を紛らわせるか、
あるいはそれ以上の強烈な「ざけんじゃねーぞこのやろうっ」の怒りをもって
呪わんばかりの強烈な感情を反対に放ってやるか、
そんな人間なわたくしなのです(鬼でしょうか)。
でも、剛さんときたら、
すべてを敏感に感じ取ってしまう。
それだけでも辛いのに、
人間の感情のみならず、ありとあらゆる、
それこそ無機物から動物から植物から空から太陽から星から
その他もろもろ目に見えないすべての気、とでもいうものすら
感じ取ってしまうのですもの。
そりゃ大変だわ。
しかも、感じとってそれに自分の納得のいく対応ができないと、
責任を強く感じ、無力感にうちひしがれ、恐怖すら覚えるという
とてつもなく律儀に悩み苦しむ日々。
しんどい。
しんどすぎる。
そんなこと全然気にしなくていいんだよ、
キミのせいじゃないんだから自分を責める必要なんてないんだよ、
もっといいかげんに生きていいんだよ、
と言ってあげたいくらいなのだが、
言ったところで変わりはしまい。
それが剛さんだからね。
なんと言うか、
愛情が深すぎて、
インナーワールドが広大すぎて、
生身のその身体では支えきれていない、という感じだ。
凄い人だね。
でもさー。
その繊細さと、とてつもない愛情深さを持ってる人、ということが、
ここ数ヶ月のボンバーまんまるフェイスからは
全然伝わってこないのが残念。(表紙のオトコマエなお写真は完璧なのですが)
哲学者や文学者には
ボンバーもふっくら丸顔もあり得ないのだが(あくまでもわたし基準)
アーティストとしたら何でもアリだからな。
岡本太郎氏の「芸術は爆発だ!」という名言もあることだし。
そうだ。芸術家は爆発させてナンボなのだ。でも髪でなくてもイイとは思うが。
ま、アーティストでなくても、
どこか爆発させてないと、人間やってらんないよな。
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