せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年11月15日(火) 人間関係が問題な訳じゃない

本来「自信家」ではない筈なのだけれど、最近のワタシは割りと「自信」を見せる場が増えている。とりあえず「自信」のある風を見せなければならない機会が増えているのである。

他人を信用して弱みを見せたりするのも、以前は沢山やった。弱みを見せ過ぎて、却ってそれを利用されたりもした。

最近はふと気付くと、どの人に弱みを見せたら良いのやら、と少し警戒している自分が居る。相手は男だったり、女だったり。

男ならまだ良いかも知れない。女は却って性質が悪い。ワタシは女とは「恋愛」をしないので、それはつまり基本的には純粋な「友情」なのだが、相手を間違うと、その友情は途端に痛いものになる。どこで誰がそれを悪用するのか分からない所為もあって、自分を中々曝け出さない人種に対してはワタシは少し距離を置いて「友情」を育む。

男が相手だと、それは残念ながら直に「恋愛」に結びついてしまう事が多い。昔はそんな事は無かったのに、ワタシ自身がお年頃になると途端に相手もそういう扱いをする事が増えた。

だから相手が妻帯者だと、却って安心して「友情」を築く事が出来そうだと、気兼ねなく本来の自分を見せたりする。しかしそれが時折「友情」以外のものを当てにしている場合もあって、ワタシはそういう男に出会うと、その「裏切り行為」に腹が立つ。


もう何年も知っている友人に、実は「離婚暦」があったらしい、という事を、最近人伝に聞いた。彼はその事を、何故かワタシには一度も言わなかった。彼はもうこの街には住んでいないのだが、発つ時もそんな事は勿論言わなかった。

それを教えてくれた人は、きっと彼は貴方の事が好きだったのだろう、と言ったけれども、しかしワタシたちは時々口論をした。議論が高じて口論になり、そしてどちらも頑固で譲らなかったのである。更にワタシより彼の方が年上でもあったので、ワタシはそういう頭の固い男に尚更魅力を感じなくなっていた。年上の男が子供なのが、ワタシには許せなかった。

しかし同様に、年上の女が子供なのも、ワタシには許せない。要するに、年齢相応の分をわきまえているとか思慮深いとか他人の事情も慮るとか、そういった要素を持ち合わせない年上の人々を、ワタシは尊敬出来ない。年下の人間に「子守」をさせる年上の人間を、ワタシは蔑む。

人にはそれぞれの歩みがあり、人生の進度や過程も個人様々であるのは重々承知である。しかし年齢相応の「何か」を持たない人々を、基本的にワタシは余り好ましく思わない。それは恐らく、ワタシの両親がそうで無かったから、そのしわ寄せを受けながら育った子供であるワタシの、ささやかな抵抗なのだろう。



例の彼女は、蓋を開けてみたら、ワタシより一回り以上も年上だった。

しかしその割りに、ワタシや他の同僚らの報告や意見の提供や質問などには、一切答えなかった。それらを一切踏まえずに、自分の言い分だけを繰り返し、要求した。ワタシはそれを認めなかった。

彼女はまるで、自分の心理的問題に捕われたままで人生をやり過ごしている、ワタシの母に酷似していたのである。

自分の成すべき義務を果たさずに、主張だけ繰り返す。自分を気の毒な人がる。「セルフ・ヴィクティマイゼーション(Self-victimization)」である。いつも自分が世の中で一番お気の毒な人だと主張し、いつまでも可哀想がる。周りの苦労など、目に入らない。あんたは自分勝手な人だと指摘されると、躍起になって詰る。だってその通りなんだから、否定の仕様が無いのだ。しかし自分が自分のあれやこれやの精神上の諸問題によって頭が一杯で、自分の不始末に気付かなかった事を指摘されると、では私にどうしろと!?とぶち切れる。「出来ない」というのが、彼女の「スタンダード」なのだ。出来ない状態が、彼女にとっては「普通」なのだ。だって、あれやこれやの色んな事が私を取り巻いていて、どうにもならないじゃないの!これ以上私にどうしろと言うの?

いや、ワタシは只、少なくとも最低限の人間らしい事だけで良いからやってくれ、と言っているのである。それ以上頑張らなくて良い。「最低限」だけで良いのである。あれもこれもやらなくて良いから、少なくとも聞かれた事にだけ答えてくれれば良い。一度にあれもこれもやらなくて良い。一つずつやってくれれば良い。誰も不条理に多くの事を要求している訳では無いのである。

しかし彼女は、ワタシが余りに多くの事を要求する、と思い込んでいる。出来ない自分に対して、ワタシは何とも酷い事を要求する、と思い込んでいる。

ならば、無理に出来ない事まで「出来る」などと言わない方が良い。無闇に出来ない事まで引き受けない方が良い。そういう人間に限って、許容範囲を大幅に超える事を「安請け合い」しがちである。そうして自分の首を絞める。自分で締めておきながら、他人を責める。あんたは酷い!と言って、他人を詰り、傷つける。そこまでの間、既に他人の時間や労力を散々無駄にしておきながら、更にそれをする権利を奪われそうになったので、それについて文句を言うのである。


ワタシはこの頃のこの「デジャヴ的人間関係」に巻き込まれるのが、本当に苦痛である。ワタシは貴方とは関わり合いたくない。自分から此処へ寄って来たつもりもないのに、何処でどう道を誤ってしまったのだろう。此処で悩んだりしたら、それこそ思う壺である。放置しなくては。これをワタシの問題にしてはならない。これはあくまで彼女の問題なのである。ここで巻き込まれたりしては、ワタシのこれまで積み上げて来た実績が崩れてしまう。これまで何年も掛かって積み上げて来たワタシの自信が、こんな下らない事で地割れを起してしまう。この悲劇的な結末。何故ワタシに降り掛かってくるのだ。何故それをワタシが引き受けなければならないのだ。一体これ以上の馬鹿げた苦労はあるだろうか。赤の他人の精神の世話などに貴重な労力を費やして、しかも相手は感謝もしないのだ。


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