せらび
c'est la vie
目次昨日翌日
みぃ


2005年07月20日(水) 異文化「日本」再び

同じ夏季語学集中講座に、もうひとりニホンジンがいる。

先日の帰りしな、漸く日本語で話す機会があった。

というのも、どうやら彼女はワタシをニホンジンではなく、「日系人」か若しくは「アジア系」で日本語は話さない人間だと思い込んでいた様子なのである。

例えば他のクラスメイトとの会話中に「ラブラドール・リトリバー系の仔犬を飼い始めた」というのがあった。しかしどうやら彼女は理解出来ていない様子で何度も聞き返しているので、見かねたワタシが日本語で「らぶらどーる・りとりばあ」と発音し直してあげたのだけれど、彼女はあっ・・・と言った後、ぽかんと口を開けてワタシを見つめるのみであった。


実は、一寸挙動不審な点もある。

ある日隣に座った学生が、休憩時間中にマフィンを買って戻って来た。

あら美味しそう、と人々が声を掛ける。

そこへその二ホンジン女性は、それは本当に物凄く美味しそうだ、と大げさに感心する。

あんまり大げさなので、その学生は、良かったら味見しても良いよ、と良くある社交辞令を述べる。

すると彼女は、あらいいの?それじゃあ、とマフィンを一掴みする。ぐわしっ。

見る間にボロボロとそれは崩れていく。あ、あ、あ・・・!と日本語的に声を上げる。

口一杯に頬張る。こぼれたマフィン屑を床に払い落とす。スカートに落ちたのを払い除ける。


それらをじっと凝視してから、そのマフィンの主は漸く、自分の第一番目の「齧り付き」を始める。



ワタシはその様子を他のクラスメイトらと共にじっと見詰めながら、なんだか奇妙な人だと思う。

何が奇妙だったのかしら。

多分それは、その原始人的未開人的な野蛮な食べ方の所為か、または普通は勧められても人のお昼を掴み取るような真似は余りしないものだけれど、それを敢えてやったところか。

多分、お礼を一言くらい言っても、バチは当たらない。


しかしそういう様子が他のクラスメイトらには、これが「二ホンジンのスタンダード」だと理解されている節が有るので、ワタシは気になっている。

現地語が余り上手でない所為もあろう。まあ異なるものを受け入れる土壌が出来ているのは、移民の国ならではで大変有り難い、と言ってしまえばそれまでだが、何もかも「外人だから」という所為にされている様子が少々気になる。


兎も角、彼女と少し話をしてみたら、どうやら作曲を学びにこちらへやって来た学生である、という事が判明した。

そこで、ワタシが一部関わっている日本絡みの団体で、時折講演会だとか勉強会だとかいった催しがあるから、良かったらそれに参加しませんかと誘ってみた。

この団体の催しは各種あって、何しろ日本関係だったら何でもオッケー、というような雑多なものなので、彼女の気に入るのも偶にはあるだろうと思うのである。

そういった事を話していくに連れ、次第に日本の政治や外交などの話に発展した。

ワタシはこの手の議論には仕事柄慣れているのだが、実際ニホンジンと日本の政治や外交政策などの話をすると、かなり幻滅する事が多い。

・・・

つまり、ここでもう結論を言ってしまったようなものだけれど、外国へ出掛けてくる二ホンジンも、結局自国の置かれている状況を余り分かっていないのだという一例をまた見た気がしている、という話である。


例えば学校名や企業名で人を判断するところ。

百歩譲って、仮にその人物が人より頭が良かったとする。有名校を出たからと言って、その頭脳の程度も一概には分からない、とワタシは思うのだが。

しかしだからと言って、その人がある特定業務に関して優れているとかいう風に決め付けるのは、危険ではないか。その人の人となりというのを知らずして、彼(女)はどこそこ大学を出たから、またはどこそこ企業に勤めているから、有能だとか偉いとか良い人だとか、何故分かるのだ。

ワタシは「彼」がその大学を出た頃は、それは主に地方のドラ息子やドラ娘が行く私立大学、として知れ渡っていた筈だから、それ程崇め奉る事は無いと思う、単に金持ちだったというだけの話では、と言ったのだが、彼女は恐らく自分が有名大学を出ていないなどして引け目を感じているらしく、譲らなかった。

いや、ワタシもそんな事を言ったら、有名大学などとは特別縁も無かったのだけれどもよ。

また、日本はアジアに位置していながらアジアではない、という発言は、ワタシなどからすると却って人種差別的に聞こえるし、また日本は芸術や観光など文化的な面において、「まるで仏蘭西のように」アジアのエレガントなリーダーとして尊敬を受ける国に成り得るだろう、という発言も、仏蘭西が他所様の領土でこれまで一体何をして来たかを忘れてしまったかのようで、苦笑せざるを得なかった。

「そう思いませんか?」

彼女は問う。

え・・・

ワタシは言葉に詰まる。

面識の無い人に物知りぶって説教など垂れたくは無いし、かと言ってその通りと同調する程無知でも無い。

仕様が無いので、確かに日本は戦力を駆使してリーダーシップを発揮するというやり方はしない事になっているので、それ以外の場で平和的友好関係を築く努力は惜しまぬ方が得策でしょうね、とお茶を濁す。仏蘭西の所業には、この際触れない。

政治や社会問題などに無関心若しくは無知な人にありがちな、この際そういう難しい事はさて置いて、そんな事より芸術とか映画やアニメなどでもって友好関係を、と彼女は言うのである。


このそれ程若くも見えない女性(失礼)が、しかしこの程度の認識なのか、とワタシは少々呆れる。

もうコドモじゃないんだから、もう少し自分の国や社会の置かれている状況を理解するとか、問題点をどう改善出来るかと思案してみる、などするのも満更悪くないと思うのだけれど。

きっと二ホンジン的には、そういう面倒臭い事は政治家とか学者の先生様にお任せしておけば良い、と思っているのだろう。

マス・メディアもどうやらそれを煽っているらしく、うちの父曰く「ハクチ番組」を飽きずに垂れ流している訳だから、それはある意味、国民を総お馬鹿さんにしたいと思っている「誰か」の陰謀かも知れない。人々に問題を認識させたくないと思っている「誰か」が、日本にはいるのだろう。

なんとなく想像は付くけれど。

それにしても、地上波全部でそんな風にしてしまわなくても良いのに、とも思う。

しかしそれはつまり、それだけ「誰か」の影響力が浸透している証拠でもある。



最近ではどこぞのアナウンサーが、未成年に飲酒をさせたとかで、日本では問題になっているそうな。

ワタシはてっきりこのアナウンサーというのは二十代の無分別な若者だろうと思っていたのだが、良く良く記事を読んでみたら、三十代だというではないか。

これは、笑って済まされる年では無い。

尤も、日本では未成年の飲酒や喫煙に相当寛大なところがあるから難だが、国外で暮らすワタシの感覚で言ったら、こういう人物は犯罪者として当然起訴されるべきである。


ワタシの住んでいる国では、未成年というよりある一定年齢以下の子供たちだけで置いておくと、保護者のみならずそれを放置した周囲の大人が、揃って留置所行きである。

この年齢は地方自治体によって開きがあるが、ワタシの家の近所では確か十四歳以下だったと思う。

つまり、その年齢以下だと、留守番も出来ないし、ひとりで通学も出来ない。

その裏には誘拐される子供の数が甚だしく多いという事情もあるが、しかしそのくらい、子供の行動には大人が注意を払っているという話である。

それを大人が進んで子供に飲酒をさせたとなると、これはもう立派な児童虐待である。社会的立場による影響力などを考慮に入れると、禁固刑は免れないだろう。


あわや異文化「日本」の行く末や如何に。


昨日翌日
←エンピツ投票ボタン

みぃ |メールを送ってみる?表紙へ戻る?