せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年05月24日(火) 金が無いと言えば何でも済んでしまうと思ったらそうはイカの金玉

忙しさにかまけて日本事情から一寸遠ざかっていたが、それでも新聞などで読んでは気になっていた事がある。



昔々、ワタシがまだ日本で学校に通う子供だった頃、ある前代未聞の惨劇が起きた。

夏休み中だった事もあって、ワタシはその事件に関する新聞記事などを一切集めて、一寸したリサーチペーパーを書いて夏休みの宿題のひとつとしたので、大変よく覚えている。あれは、何とも衝撃的な事件で、連日テレビや新聞のトップを飾っていた。

その頃のワタシは、まさかその事故を起こした会社の関連会社で将来働く日が来ようとは、まだ夢にも思っていなかったが。


後に大きくなったワタシは、ある関連会社に派遣されて数年働いていたのだが、そこで知り合った仲間に、例の事故当時、親会社の整備部門担当部長だった人物の息子というのがいた。

こいつは某有名私立大学へ付属校から順繰りに上がって来たボンボンで、また帰国子女でもあった。その所為か、相当鼻持ちならない糞生意気な小僧だったのだけれども、同い年だったのと多少の海外経験があるという事で、ワタシには特に馬鹿にしたような態度なども寄こさずそれなりに敬意を払っている様子だったので(随分薄っぺらい奴ではある)、ワタシたちは一応の友人関係を保っていた。

彼の話によると、おとっつあんはそういう訳でタイミングの悪い時に整備部長などしていた関係で、責任を取らされ左遷の憂き目に遭ったそうな。彼方此方の部署を順繰りに回っている一幹部候補企業人としては、悲劇である。

それでその頃は、ある子会社の出向社長みたいな地位にいたようである。何年かしてほとぼりが冷めたら、また戻ってこれるさというような、よくある話である。



「その頃」というのは、この親会社は実は随分と新入社員採用数を減らしつつあった時代である。

それは何処の会社でも当時そうだったのだけれど、「バブル」というミステリアスな時代が終わりつつあった当時、日本中の会社が先行きに大いなる不安を持っていたのである。

この会社は元々古い体質を引き摺って長年やって来た所為もあって、中身の改善には目が向かず、まずは新人を減らす以外に遣り様がなかったのだろう。思えば日本の大きい会社は何処でもそんな風だった。

華やかな業界だけに一際応募が集中したが、とうとうそのうち「今年は新卒募集ゼロ」などと言い出す年がやって来た。

この業界というのは、華やかな部門だけでは決して仕事にならない、意外に厳しい業界である。日の目を見ない部門というのも沢山あるのだが、それらも含めて募集が大幅に減らされたようである。

会社の体質など中身の活性化がされないという点において、つまり「問題の先送り」をするという事に関して、この新規募集ゼロという策は、非常に危ない経営方針である。

しかしそれより、そもそも会社運営の資金自体も、底を付き始めていたのである。「抜本的改革」という使い古された言い回しがまだ聞こえ始めた頃の、それが何処よりも必要な、正に旧体制的な会社だったのである。

子会社だったワタシの働く会社も、幾つかの支社が閉鎖されたり人が減らされたりしていた。そこは直接人の命には関わっていないから良いようなものの、親会社の方は人手が足りなかったり運営や整備の資金が滞ったりしてはまずいだろうなと、若いワタシはぼんやりと思ったものである。





ワタシはこのところの相次ぐ飛行機事故に関して、それらを最早日常茶飯事の如くに聞くにつれ、いよいよ当時のツケが回ってきたかと空恐ろしく思われてならない。



そう思っていたら、モモリーネさん絡みで知ったJIROさんのとこで、関連事項が幾つか載せてあった。ここでその昔々の事故当時の音声が聞けるというので、ワタシも行ってみた。

当時リサーチをしながら震え上がった若き日のワタシを思い出しながら、そのワタシが生きているくらいだから、これはそう言う程大昔の出来事では無いのだと、改めて思った。



「金が無い」という言い訳は、何処の世界でも面倒な相手を黙らせるのに良く使われる。ワタシの居る業界如きですらそうだ。笑わせるぜベイビー。



という訳で、ワタシはこれまで同様、例の会社の飛行機には国内外路線を問わず、一切乗らない事にする。

友人に仕事で乗らねばならないのがいるから、こう言うのは心苦しいけれども、しかし嫁入り前のイタイケな乙女であるワタシは、自分の命が惜しい。


尤も彼女なんかは「バイト」扱いから入ったから、花形部門の従業員を正規で雇えなかった当時の会社の様子を思い起こすと、随分月日が経ったものだとは思う。


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