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みぃ
訴訟其の一、第二話。 そのメモにはたどたどしい文章で、お願いがあります、と始まっていた。ワタシは何事かと直に目を通した。 どうやら階下の住人らしい。バスルームの天井に穴が開いているのだが、階上に住む貴方が留守がちだからという理由で、何ヶ月も工事が放置されているので、何とか都合をつけて家に居てもらえないだろうか、と言う。せめて週末に一日休んでもらえれば助かるのだが、と結んでいる。 これは全くの初耳だった。ワタシは直にそこへ書かれていた番号に電話を掛けた。 階下の住人は、ニホンジンだった。だから話が早くて、ワタシたちはその週の土曜に互いのスケジュールを合わせ、彼女がその旨大家に連絡した。するとまた折り返し彼女から電話があり、大家が電話に出ないのでメッセージを残したのだが、不安が残るのでワタシにも電話をしてみて欲しいと言う。 そこでワタシは大家に電話を掛け、メッセージを残した。すると、五分と待たぬうちに、大家から電話が掛かって来た。どうやら相手を見ているらしいと察した。 階下のバスルームの工事の件は、今週末で問題無いと言う。わざわざ連絡をありがとうとまで言っている。 欲を出したワタシはそのついでに、ところでもうすっかり寒くなっているけれど、暖房はいつから入れてくれるのかと聞いてみた。 この国の多くの家やアパートでは、暖房設備を集中管理システム(セントラルヒーティング)にしている。そしてこの街の条例では、十月から三月までの冬季間に外の気温がある一定より下がったら、室内の温度は何度以上に保たれなければならないという風に決まっている。時は既に十月の後半だったが、ワタシたちのアパートはしんと火の気の無い状態だった。 大家は直に管理人に暖房を入れるように言うから心配要らないと言った。ワタシはそれなら結構ですと言って、電話を切った。 それから小一時間程して、パイプがかつんかつんと言ったと思うと、アパートになにやら温もりが感じられ始めた。 しかし、二三時間もすると、直に切れてしまった。 その日から、大体朝方になると暖房が入る音がして、そして二三時間で切れる、というのが繰り返されるようになった。しかしワタシの住処ではどういう訳か、バスルームが一番暖かく、普段過ごしている部屋の方には暖房は殆ど入らなかった。 年の瀬になってくると、どうにも寒くて生活に支障が出て来た。ワタシは部屋とバスルームの中間にある台所にあるオーブンに点火して、その扉を開け放した。これは危険だからお勧めは出来ないが、部屋を手っ取り早く暖めるのにはいい方法である。 それからありったけの毛布や布団類を寝床に重ねて、更にその上に緊急用のアルミフォイルシートを掛けた。これは、布団に入った直の頃は凍えそうに冷たいのが、朝方起きる頃にはシートの上に汗を掻いている程の保温効果があった。 そして家で過ごしている間は、厚手のセーターの上にダウンジャケットを着て、靴下も厚手のを二枚重ねて凌いだ。 その年は酷い寒波が来たので、特に年末年始の頃は、大雪が数日続いて大変寒かった。ずっと暖房が入らないものだから、何度か大家に電話をしてメッセージを残すのだが、あれきり全く音沙汰が無いのだ。 ワタシは市の管轄機関の所在を調べ出し、そこへ訴えを出す事にした。これは暖房が規定通り入っていない時に電話をすると、そのうち調査官を送ってくれる。苦情の電話が入った順に回ってくるので中々早くには訪れないが、首を長くして待っているうちに漸くやって来て、室内の温度とお湯の温度(これは年中一定の温度以上に保たれていないといけない事になっていて、暖房とお湯は元が同一の事が多いから、一緒に調べるのだそうだ)を調べて行く。 そうして出来た調査書を本に、大家に対して市から知らせが行く。いついつに住人誰某からこういう苦情が来て、調査の結果確かに条例違反であったから、直ちに改善するように勧告する、というものである。これはあくまで「勧告」であって、強制力は無い。だから、悪徳大家ならば、こんな通知は屁でもないと言って、全く従わないで居る事も出来る。 運悪く、この大家もそういう輩だった。 ワタシは結局年末までの間に、幾度と無く市の機関に苦情を出して、そのうち数回調査官を迎えた。そしてそういう活動の都度、何の気無しに記録を取っておいた。何月何日何時、市へ電話をする。天候、室温何度、外気温何度。何月何日何時頃、調査官来る。当初はまだ訴えよう等とは考えも及ばなかったが、こういった記録は後の裁判で非常に有効な資料となった。 第三話へつづく。
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