せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年10月25日(月) こちらも本格的な寒さがすぐそこまでやって来ている

親戚が住んでいる地方に又しても災害が起こって、大事になっているらしい。

もう十年程前に神戸で災害があった時、ワタシは日本に居てその様子をテレビで見ていた。居ても立っても居られず、いっそヴォランティアをしに神戸に行こうかと思いついた。夜行列車を使えば、翌日の昼には着くだろう。しかし母が、どうせ邪魔になるだけだからよせ、この馬鹿者が、と忽ちヒステリックに怒鳴り出したので、止めた。

後に国を離れてから、父方の祖父が他界して、そしてその一ヵ月後祖母が後を追ったという知らせが届いた。どうやらワタシは、数ヶ月後までそのことを知らされなかったようだ。この時の母の言い訳は、どうせお前が居たってどうなるわけでもなし。

それは確かにその通りなのだけれど。

元々縁が薄い上長らく離れて暮らしているので、親戚に不幸でもない限り、音信不通になりやすい家族ではある。このときは、折角連絡を取る言い訳が出来た、格好の機会だったのに。

母にとっては、折り合いの悪かった憎らしい舅姑かもしれないが、ワタシにとっては血縁者の死である。ワタシはせめて花でも贈ってお別れを言いたいと思ったが、既に葬儀から大分経っていて今更どうしても間が抜けているので、渋々諦めた。そして同時に、母に対しても諦めた。この人に何か人間らしい、ごく当たり前の感覚を期待するのを諦めた。

ワタシは昔から事ある毎に厄介者扱いを受けていて、またここでも、祖父母の葬式にさえも出して貰えないという扱いを受けている。ワタシにとって世の不条理はこの辺りに端を発する。家庭は小さな社会であるから、世の不条理の縮図は、立派に家庭内に存在する。

きっと親父が死んでも、母は娘に連絡するのを「すっかり忘れて」しまうのだろう。流石に親父は、母が死んだらワタシに連絡を遣すだろうか。直に帰って来られそうかと打診して来るだろうか。そしたらワタシは、母など居ないと言って帰るのを止そうか。他人に遣った仕打ちは必ず自分に返ってくると、死人にさえも教えて遣るべきだろうか。それともそれはワタシの役目ではなく、既にあの世に居る祖父母やご先祖さんの手に因るのだろうか。あの世はあの世で解決が着くのだろうか。

兎も角、ワタシは今、親戚の身を案じて国際電話をしようか止そうか、迷っている。

こういう事は、ワタシが今住んでいる辺りでは、誰も迷わない。皆、直に行動に移す。以前この街で大きな事故が遭った時も、街の人々は取る物も取り敢えず、腐らない食べ物だとか衣類だとか、または金や血や労働力を寄付しに、街中あちこちへ掛け付けた。ワタシもその際は、医療用テープや絆創膏、寄付に出す間際で取っておいた着古しの男物の衣類、タオル、緊急用アルミ二ウムシート(身体に巻いて寒さから身を守るもの)、缶詰やクラッカーなど、家にあった手頃なものを片端からカートに詰め込んで、寄付品置き場へ出掛けたものだ。

あの時は大変な騒ぎだったけれど、ああいう風に街中の人々を団結へ導いた心意気や態度というのは、今振り返っても心を熱くする。この街の住民であることを、皆が誇りに思えた貴重な日々だ。

そういう事を、普通にワタシはやりたいのだが。


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