 |
 |
■■■
■■
■ そういう空気にはなっていない
聞いた話では、教会によっては、
「イスラエル」の話をするだけで、つき刺すような目で
見られ、気持ち悪いと言われることもある。との
こと。
報道が言っていることは本当だとそのまま信じて
いけば、そうなってしまうのも無理もないとも
思いますが、クリスチャンまでもが「反イスラエル」
「反ユダヤ主義」になってしまいませんように。
黙示録12章、悪魔の思惑を知らないといけません。
その話を聞いて、うちの教会でも戦争当初
大分牧師とその件で何度も何度も話をしました。
話したからと言って、すぐに理解してもらえる
訳ではありません。
でも、幸いなことに先生はローマ11章の約束は
信じておられるので、(ユダヤ民族であって、
現代イスラエルとは思っておられないのですが)
それは先ほどの他所の教会と比べると、
全然違うのでありがたいです。
ですが、「イスラエル=教会、ではない。」
という点は、まだ理解が違っています。
(適用で、私たちのことも、ということはありますが)
これはずっと議論で戦っても仕方がないので、
今は議論はしないでいます。
いつか牧師が御霊に導かれ、みことばを読んで
行くうちに「あ!」と気付くようになったらいいな
と祈っています。
ですが、折々に機会を見つけ、イスラエルの話は
ちょこっとずつします。
反ユダヤ主義の危険についても機会を見つけて
ちょいちょい挟み込んで行きます。
祈祷会でも、戦争について祈るよう課題が
当てられたときには、自分の立場で祈ります。
冒頭の他教会での雰囲気を耳にして、
周りではもうそんなことになっているのか・・・
と知りました。
私のいる教会は、そうはなってはいないな・・・
と思いました。
もしかして、ちょいちょいと話して来たことが、
少しは実っているのかもしれない。
もしも神様が私をここに置いてくださっていることが
そういう意味であるなら
嬉しい
と思う。
2025年04月22日(火)
|
|
 |