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■ 詩篇2篇
聖書通読はマルコの福音書が終わって
詩篇に入っています。
昨日2篇を読んだのですが、今日もう一度読みました。
ここは「神の国」「千年王国」のこととして読まないと
意味が分からないと前から聞いていた箇所だからです。
国々が騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやき
主(イエス)と、主に油注がれた方(御父)に逆らった
としても、
4節「天の御座に着いておられる方は笑う。」のです。
そして言われます。
6節「しかし、わたしはわたしの王を立てた。
わたしの聖なる山、シオンに。」
やっぱりここにも書いてあるものね。
シオン(エルサレム)でイエス様は王となられます。
現実に。
その王なるイエスに御父は国々をゆずりとして与え、
地の果て果てまで、あなたの所有として与えます。
イエスは鉄の杖で、彼らを打ち砕き、
焼物の器のように粉々にする権威があります。
(8,9節)
だから、王たちも、さばきつかさたちも
謹んで悟らなければなりません。
御子なるイエスが自分の王であることを。
その権威を畏れ、かがんで足に口づけをせよ。
幸いなことよ。
すべて主に身を避ける人は。(12節)
となります。
王様がだれであるのか。
自分を王様としていてはいけない。
本物の王が来られる。
なんと幸いでしょう!
この方に身を避ける人は!!
それで、調べていたら1篇について新しい解釈を
しているものを見つけました。
(こちらもよく参考にしています)
詩篇1:1の「その人」は
「イェシュア(イエス)」だ。というのです。
それをずっと見ていったら2篇の「きょう」(2:7)
は、今のこの日の「今日」ではなくて、
「ハッヨーム」「その日」神によって「定められた日」
とあり、
3本の十字架の、イエスの隣についた強盗が
「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるとき
には、私を思い出してください。」
と願ったときのイエスの
「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
の「きょう」と同じ言葉だ、とありました。
「その日」「定められたとき」は
御国の成る再臨のときで、
そういえば、この強盗も十字架の上のイエスの姿を見、
自分は自業自得だが、
この方は何も悪いことをしていない。
なのに十字架についておられることを信じました。
そして、
「あなたの御国の位にお着きになるときには」
と言ったのが、初めて分かりました!
この強盗も、御国、千年王国で、
この方が王様となられ、
地を治めることを信じているのです。
そして、「あなたはきょう」
「わたしとともにパラダイスにいます。」
となります。
「パラダイス」は、メシアニックジューの聖書では
「ガン・エーデン」で「エデンの園」と訳されている
そうです。
あなたはその日、
王であるわたしとともに
御国(千年王国)にいます。
という解釈となります。
それはとても興味深く読みました。
詳しくは → こちら (詩篇1,2篇、そして2篇と飛んで行けます)
2025年03月15日(土)
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