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■ 目には見えなくても愛しており
それで「黙示録」という日本語の訳がよろしくなくて
「見えなかったものが現れる」というのが本当みたい。
目では見えなかったイエス様が現れるとき。
なるほどなぁと思ったのが、
デドモと呼ばれるトマスの場面で、(ヨハネ20章)
「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに
差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れて
みなければ、決して信じません。」
と言いました。
復活のイエス様が現れたとき、トマスにまったくその
同じことばで呼びかけられました。
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
と!
つまり、私たちの毎日も目ではイエス様は見えませんが
ここにおられるし、私たちが何を話しているか聞いて
おられるし、見ておられるんだってことです。
黙示録1章の「栄光の姿のイエス様」は
「その目は、燃える炎のようであった。」(14節)
とあります。
ダニエル書10章に描かれている栄光のイエス様の目も
「たいまつのようであった」とあります。
それは、すべてのことをご覧になっておられること
です。
それを知る時、死人のようになって倒れますが
同時に
「恐れるな。」と右手を置いてくださる方です。
今日は10月7日ですね。
新聞の見出しは、この日であっても
「ガザ戦闘開始から1年」と記しているし
NHKも同じ見出しで、番組を流しています。
イスラエル在住の方々が、日本の報道の様子を聞いて
日本では10月7日は無いことになっているんですか。
とおっしゃっていました。
確かに、何があったのかも
知らないままの人が多いと
思う。
2024年10月07日(月)
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