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■ イザヤ62章63章
聖書通読イザヤを続けて読んでいます。
最初に、イザヤ書は聖書全体を凝縮したような書で
ある。と聞いてから読み始めましたが、本当にみんな
ここに書いてありますね。
先日、いつも見ている「イスラエルニュース」の特別版
イスラエルに在住の方との対談がUPされました。
→ こちら
その方のお名前が「輝都さん」で、
あ、イザヤ60章!と思いました。
素敵なお名前ですね。
都に光り輝くイエス様がお座りになる日が来ます。
さて、昨日は62章
「シオンのために、わたしは黙っていない。
エルサレムのために、黙りこまない。
その義が朝日のように光を放ち、
その救いが、たいまつのように燃えるまでは。」
(1節)
イエス様が黙っていないならば、私たちもです。
「エルサレムよ。
わたしはあなたの城壁に見張り人を置いた。
昼の間も、夜の間も、
彼らは決して黙っていてはならない。
主に覚えられている者たちよ。
黙り込んではならない。
主がエルサレムを堅く立て、
この地でエルサレムを栄誉とされるまで、
黙っていてはならない。」
(6,7節)
そして63章
「エドムから来る者、
ボツラから深紅の衣を着て来るこの者は、だれか。
その着物には威光があり、
大いなる力をもって、進んで来るこの者は。」
です。(1節)
今まで分からなかった、ボツラに逃げ込んだユダヤ人を
救うために、再臨の主が降りて来られるとき、
天の軍勢とともに、携挙した聖徒たちも
一緒に下りて来るのですが、
私たちも戦うのか?どうかということでした。
今日の箇所に
「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。」(3節)と
書いてありました。
「こうして、主は彼らの救い主となられた。
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
ご自身の使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」
(9節)
2024年08月27日(火)
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