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HEAVENLY FATHER FEEDS THEM
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ミサリ



 1948年ユダヤ人はアラブ人を追い出してはいない

UNRWA本部の下から、ハマスの司令部がついに

出て来ましたね。

たくさんのバッテリーと、配電盤、大容量のサーバーが

あり、ハマスはここから戦争の指揮をしていたよう

です。

電気は上にあるUNRWA本部から取ってますので、

電気代をみただけでも分からないはずはなく、

国連も「知らなかった」では言い訳にならないです。

中東専門家たちは、UNRWAの一部の人達のことで

済まそうとしてきましたが、もうこれで組織的なこと

なのが分かってしまいました。

皆さんの税金が、ハマス司令部の戦争を指揮する

電気代にもなっていたのです。



ニュース等のコメント欄でいつも私に反論してくる人が

います。

それでも話しているうちに、その方もユダヤ人たちが

帰還して来た1800年代は、「正式に土地を購入して

いった」ことを理解してくださるようになりました。

良かった良かったと思っていると、今度は

「1948年は違う。やはりユダヤ人はアラブ人を

追い出したのだ。」と言って来ました。


それに対して返事を書きましたが、とても長いコメント

になり、もったいないのでここにも貼っておきます。



国連総会「パレスチナ分割決議案」が出された1947年11月29日の翌日、11月30日から、何が起きたか?
まず30日にアラブ側によるユダヤ側に対するテロが起きた。5人のユダヤ人が殺されました。まだ、独立宣言は先です。でもユダヤ人はきっとイスラエルの国を作るであろう。その建国の意思をくじくため、テロを起こし恐怖を与えることによって建国を止めさせようとテロがエスカレートしていきます。以降4か月の間で900人のユダヤ人が惨殺されました。
これを止める立場のイギリスは、ユダヤには厳しく、アラブ人には甘かった。ユダヤ人に対しては刀狩をしていきます。こうして建国する前から、内側からも、外側からも(シリア、レバノン)攻撃されていました。
そうして、独立宣言するまだ前の段階で、ユダヤ人に割り当てられるはずのところにすんでいた2万人のアラブ人(裕福な)が、ほとぼりが冷めるまで外国で避難していましょう。とベイルートや、カイロに避難をしました。→これが一つ目の難民グループとなる。

二つ目の難民グループは、もっと大きなグループです。
アラブ側(アラブ高等委員会)の呼びかけで、ユダヤ人の割り当て地にいるアラブ人たちはそこを出なさいという命令が出たのです。第一次中東戦争をするつもりだから、巻き添えをくわないように。ユダヤ人をやっつけたらまたすぐに戻れるから、と言って呼びかけて、アラブ人たちが出て行ったのです。
しかし!思惑とは違って、建国したばかりのユダヤ人が奇跡的に戦争に勝利してしまった!それで、そのアラブ高等委員会の命令で出て行ったアラブ人が、二つ目の難民となったのです。イスラエルが追い出したのではないです。

この出来事の証拠は、第三者であるサウジアラビアの情報大臣ムハンマド・アブドゥー・ヤマニーが、1990年10月24日ウカズ新聞でこう言っています。「アラブ諸国の軍隊が、ユダヤ人の手から解放するためパレスチナに侵攻したとき何が起きたであろうか。軍司令官たちはアラブ住民に対し、数日間で良いから土地を離れよ。戦争が終われば戻れる。と言った。パレスチナ人は土地を離れた。アラブにパレスチナ解放に成功した。そしてその後馬鹿なことに、停戦に、合意し、イスラエルの存在を許した上に、パレスチナを離散状態に放置してしまったのである。」と記事が残っています。(イスラエルの情報ではなくサウジアラビアの新聞ですよ!)

イスラエルの5代目首相ゴルダ・メイアが、初代首相ベングリオンから、アラブ人たちを説得するよう頼まれたと「回想録」に記しています。
ベングリオンは「アラブの隣人たちに発って行かなくてもいい。いやむしろそこに留まっていて欲しい。我々は共存できるんだ。共存することによって、イスラエルが民主主義国家であるということを皆さんに知ってもらえるんだ。」とアラブ人たちを説得しに行ってくれと頼みます。
ゴルダ・メイアは、海岸にいるアラブ人たちに説得しにいくと、彼らは答えたそうです。「我々はユダヤ人を恐れて戻らないのではない。アラブの大義に対する裏切り者とみられることを恐れて戻らないのだ。」つまり、アラブの大義は「イスラエル殲滅」それなのに、元の地に戻れば、その大義を裏切ることになる。それで、出て行ったアラブ人たちは戻ってこなかったのです。

つまり、パレスチナ難民が生まれたのは、イスラエルが追い出して行ったのではなく、イスラエルが建国するとすぐに戦争をしかけたアラブ諸国によってであり、戦争するからと一時退避して、そのまま戻らなかったということなのです。


ウィキのことは良く分かりませんが、1948年イスラエルが建国するやいなやアラブ諸国から戦争をしかけられ、第一次中東戦争となった訳ですから、死傷者は多くあったでしょう。ユダヤ側も1%亡くなったと聞きます。
でもユダヤ人が建国するためにアラブ人を追い出したのではなく、戦争を仕掛けて来たのはアラブ諸国からで、その結果のことです。分割決議案でパレスチナも素直にもハンコを押せばそのまま平和に2国出来たはずなのです。

(情報元:ごうちゃんねる ずっとユダヤの歴史をやっているので観るといいです)



2024年02月13日(火)
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