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■ 「わたしは世の光です」
今日から会堂で集まっての礼拝が再開しました。
ヨハネ8:12
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、
決してやみの中を歩むことがなく、
いのちの光を持つのです。」
イエス様が光そのものなんだから
イエス様について行って、光のそばにいれば
いいんだね。
今日はこの1節だけだったのですが、その後ろに
何が書いてあるか読んでいたら、
まぁ、イエス様はなんとはっきり
おっしゃるんでしょう。
ユダヤ人たちが、どんなに聞いても、目の前に
救い主メシアがいるのを見ていても、
まったく理解することができませんでした。
それなのに、私が今イエス様が救い主であると
信じているということは、
やはり神様のくださった恵みです。
「父がわたしにお与えになる者はみな、
わたしのところに来ます。そしてわたしの
ところに来る者を、わたしは決して捨てません。」
(ヨハネ6:37)
別教会のローマ11章の続きの説教も
楽しみにしています。
それで、牧師の話を聞きながら思い出したのが
上にも書きましたがヨハネ6章でした。
「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち
永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。
それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。
この人の子を父すなわち神が認証されたからです。』
すると彼らはイエスに言った。
『私たちは、神のわざを行なうために、
何をすべきでしょうか。』
イエスは答えて言われた。
「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、
それが神のわざです。』」
(ヨハネ6:27〜29)
永遠のいのちに至る食物のために働くには
何をすればいいんですか?
どんな律法を守ればいいですか?
と彼らは思いましたが
「神が遣わした方(すなち、わたし=イエス)を
信じること。それが神のわざです。」
とおっしゃいました。
イエス様を救い主と信じること
それだけで永遠のいのちをいただけます。
そして、信じつづけること。
今日の8章に戻っても
「わたしに従う者は」とありました。
牧師は「従う」は「信じる」とも言い換えられる
と言いました。
どんなに電気がたくさんダムで作られていても
それが自分の家で、使えるようになるためには
電線が必要です。と。
それが「信じる」ことです、と。
どんなに聖書を読んで、知識を持っていても
毎日の生活の中にあって、イエス様の力を
信じないと、何の力もありません。
日曜だけでなく、生活のありとあらゆる領域で。
どこかで聞いたのですが
神様は私たちが何かをすることではなくて
神様を頼ることを望んでおられる。
そんなことを色々考えました。
この一週間も一人だけで歩いて行かずに
光の後についていけますように。
あらゆる領域で。
2022年10月02日(日)
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