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■ 罪責感でなく罪そのもの
今日の教会は
ゲストを招いてのスペシャル集会でした。
とても早口な先生で
話がどんどん広がっちゃうんですが
かえって
「こういうことだろうか」
と自分で考えることになるので良い。
その中のひとつだけを。。。
何か間違いを犯したとき
「それくらい。皆もそうだよ。人間だもの。」
と言ってもらえば
気が軽くなり、罪責感は取れるかもしれない。
キリスト教の違うところは
罪責感でなく
罪そのもの
だって。
キリストの十字架ゆえに。
『神はそのようなあなたがたを、
キリストとともに生かしてくださいました。
それは、私たちすべての罪を赦し、
いろいろな定めのために私たちに不利な、
いや、私たちを責め立てている債務証書を
無効にされたからです。
神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。』
(コロサイ書2:13、14)
色々言い訳をして自分を正当化していた頃
少しは持ってたなんて言うな。
何にもないさ。0(ゼロ)って認めちまいな。
いやマイナスだよ。マイナス。
と私に言った人あり。
そして
キリストの「贖い(あがない)」の意味は
「覆われる」と教えられる。
そのときのことを
思い出したりした。
2008年10月19日(日)
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