Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 「DEATH NOTE」のような心理戦を書くことは可能か
2006年07月19日(水)

 結論、可能。


 一昨日のVoiceでもご紹介しましたが、最近まで「週刊少年ジャンプ」で連載されていた話題作「デスノート」は、死神が落とした殺人ノートを使って理想の新世界の神になろうとする“キラ”と、全世界の警察を掌握できる唯一の存在で、キラの一連の事件を捜査する“L”による心理戦が見物のサイコサスペンス漫画です。
 その主役2人の、お互いの正体を暴くための常識外れな知略戦は、裏の裏のそのまた裏を読み合うという非常に緻密に計算されたもので、お互いが一歩も譲ることなく互角の駆け引きを続け、それが見事にストーリーの核となって読む者を惹き付けています。

 では本題。この「デスノート」のような、緻密に計算され尽くされた2人の主役の駆け引き、果たして僕にも描くことができるのだろうかと、ふと考えてしまったわけです。いえ、僕は漫画は書けないので文章で、ですが。「デスノート」は昨日書いた通り小畑健という漫画家が描いている漫画ですが、大場つぐみという原作者がいて、その原作がものすごく緻密に描かれているんだと思います。

 僕は一応物書きですから、小説や漫画でものすごい作品に出くわすと、果たしてこんな作品が自分でも書けるのだろうかというライバル心が芽生えてしまうわけです。もちろんそのほとんどが「不可能」という結論なのですけどね。だいぶ前に、まだ映画化とかドラマ化とか全く言われていなかった頃に、鈴木光司の「リング」と「らせん」の原作小説を読んで衝撃を受けたことを覚えています。あれを読んだときには、この人は天才だと思いましたね。(断っておきますが、映画やドラマの「リング」「らせん」は、原作の凄さの10分の1も表現できていません)しかし、「デスノート」のような主役2人の駆け引きのような心理戦を書くことは、自分でも可能かなと思います。

 いえ、こう書くと語弊がありますが、「デスノート」のような設定やアイディアとかそういうことではなく、あくまでも「デスノート」に出てくる2人の主人公キラとLという二大秀才が、お互いの心理の裏の裏の裏を読んで推理しあい、そして欺き合うということですよ。

 キラとLはともに東大(漫画では東応大学)の入試で全問正解してしまうほどの秀才という設定ですが、それを書いている原作者の大場つぐみは、もちろんあれだけのものが書けるのですから頭はいいでしょうけど、さすがに作品中の2人ほどの秀才ではないでしょう。
 しかし、作品中の2人の秀才は、お互い見事な推理力を発揮してお互いの言動や行動から考えていることを探り出し、まさに東大全問正解合格も頷けるほどのすさまじい頭脳を披露しています。

 つまり、書いている自分(作者)が秀才ではなくても、秀才のキャラクターの描写を書くことはできるというわけです。だってLなんて、全世界の警察機関を動かせる唯一の存在で、世界最高の探偵といわれているぐらいですから、少なくとも推理に関しては、世界最高の頭脳を持っているということになるわけですからね。まったく惜しい人を亡くしたものです。

 以前にも書いたことがありますが、“物語を書くことの魅力”とは、自分が神となって、自分が創造した世界の中で登場人物をあやつり、自由にその世界を動かすことができると言うことです。そして「デスノート」に登場する2人の秀才は、どちらも“神”である原作者の大場つぐみが創造したものであり、当然その思考や行動は、2人の人格設定に基づいて大場つぐみ自身が構築しているものです。
 つまり何を言いたいのかというと、キラもLも大場つぐみという一人の人間が描いている人物であり、当然どちらの心理も把握していて(というか作り出して)いるわけですから、その一方の考えていることをもう一方に推測させ的中させ、それを読む読者に「何て鋭い推理なんだ!」と思わせることは容易であるということなのです。

 しかし、それでも大場つぐみの書く「デスノート」は、あたかもお互いが本当に様々な根拠を元にして推測を構築しているというプロセスの組み方が、非常に上手いと言えます。
 この作品における多くの推理は、キラが殺人を犯し、その状況をLが推測してキラの正体を探るというものですが、キラは絶対に疑われないようにするため念密な計画立てて殺人を犯しますが、逆にLは「自分がキラならこうするだろう」という発想でものを考え、それがキラと同じ発想であるためにキラと同じ心理に入り込むことができ、キラが練った計画の“絶対”を崩していくことができるわけです。
 ところが、キラはキラで「Lはきっとこんな風に自分を疑っていて、それを確かめるためにこんなことを尋ねてくるんだ」ということを分かっていて、その上でその先の行動をしているので、Lは疑いは持っても確信することができないでいるわけです。しかしそれでもLさらにその先を読んで、「彼がキラならこんなことを言うはずはない。だが、私にそう思わせるためにあえてこう言っているのか?」などと更なる疑いを持ち、結局考え出したらきりがないという状態なんですよね……。

 こんな2人の堂々巡りの心理戦を書いているときの大場つぐみは、きっと楽しくてしょうがないでしょうねえ。僕だってこんなすごいアイディアが思いつけば、嬉しくてものすごい速さで執筆が進むでしょう。

 そんなわけで、最初に書いた通り、あくまでも秀才同士の見事な推理合戦だけなら、推理力には全く無縁で勉強もからっきしの僕にでも、書くことは可能だと思います。

 ただ、やっぱり「デスノート」は、まず“死神が落としたノートに名前を書くと書かれた者は死ぬ”というアイディアが凄いですし、現実問題として本来ならそんな非科学的なもので起こされた殺人なんて解明できるわけがないわけで、それでもLは緻密な推理力を駆使して容疑者を一人に絞ることができたという持っていきかたは実に見事で、こんな物語を書けてしまう大場つぐみはすごい作家だと思います。

 今回はあえて“すでに世に出ているもの”に対して、あとから“それに似たことができるか”という話の流れで書きましたが、そもそもこんなすごいアイディアを思いつくかと言われれば、僕には無理ですね。




 結局は、不可能ってことじゃん……。



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