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■ 監督クリント・イーストウッドの結末(後編)
2005年09月18日(日)
(昨日の続きです)
「ルーキー」(1990)はとりあえず置いておき、不条理ではないにしても、クリント・イーストウッドの監督・製作作品は、昨日お話しした「ミスティック・リバー」のように、必ずしもハッピーエンドではないというのがひとつのスタイルになっていると思います。
その他の作品では、ケヴィン・コスナーと共演し話題になった「パーフェクト・ワールド」(1993)が、やはり不条理な結末を迎えます。この映画は63年テキサスを舞台に、犯罪者と幼い少年の心の絆を描いたヒューマン・ドラマで、刑務所を脱走したケヴィン・コスナー演じるブッチとその相棒は、フィリップという8歳の少年を人質にとって逃避行をつづけます。しかしブッチが少年をレイプしようとした相棒を射殺してから、少年フィリップは、死んだ父の姿をブッチに重ねて見るようになり、次第に心を通わせていきます。 一方、クリント・イーストウッド演じるレッド・ガーネット警部はこのブッチと人質フィリップを追っていくのですが、最後のシーンで警察に追いつめられたブッチは、フィリップ少年を解放し自首しようとします。しかし、ブッチが走り去るフィリップを撃とうとしていると勘違いした別の刑事がブッチを射殺してしまい、フィリップはブッチの死に泣き叫ぶという、何ともやりきれない結末に終わります。
世界中で大ベストセラーとなった同名小説を映画化した恋愛映画の傑作「マディソン郡の橋」(1995)は、農場主の妻フランチェスカと、近くの屋根のある橋ローズマン・ブリッジを撮影に来たが道に迷ったという旅のカメラマン、ロバート・キンケイドの永遠に心に残る4日間を描いた作品ですが、この映画は不条理ではないものの、やはりハッピーエンドではありません。しかしこの映画の場合、長い人生を振り返ってみれば、ハッピーエンドであると言えるのかもしれません。
この映画では、生活の大部分を旅の中で過ごし、世界中のどんな場所や人にも内面の孤独が満たされなかったキンケイドが、同じ種類の孤独を抱えているフランチェスカに出会い、お互いを知れば知るほど相手が自分達にとってどんなに希有な存在かを深く理解した上で、その4日間を胸に秘めたまま、一生を終えてゆくという、ありきたりの恋愛映画とは一線を画し、女性側にのみならず、男性も共感出来る上質の大人の恋愛映画であるといえるでしょう。
しかし、結末はフランチェスカとキンケイドは結ばれることはなく、フランチェスカは一緒に旅に出ようと言うキンケイドの思いを断ち切り、結局農場主と子供たちとの平凡な人生を選ぶというものでした。そして、2人が死んだ後になって初めて、成人した子供達が彼らの恋を知ってゆくという話の設定、よく練られた脚本、そして何と言っても、映画というものを熟知したイーストウッドの巧みな演出には、思わず唸ってしまうのと同時に、彼の監督としての手腕を再確認させられます。
クリント・イーストウッドといえば「ダーティー・ハリー」シリーズが有名ですが、そのシリーズ中、唯一イーストウッドが監督・製作を手掛けた作品が「ダーティー・ハリー4」です。この映画では、それまでの勧善懲悪的なストーリーから一転し、イーストウッド独自の結末が用意されていました。 シスコの連続殺人犯を追ってサン・パウロを訪れたハリーの前に画家のジェニファーという女性が現れるのですが、ハリーは捜査を進めていくうちに、数年前にジェニファーと彼女の妹がレイプされるという事件があり、連続殺人の犠牲者はその犯人たちだという事実に行き当たります。
実は連続殺人の犯人はこのジェニファーで、自分自身と妹をレイプした犯人に次々に復讐していたのです。そして残ったレイプ犯たちは真相を闇に葬るべく、復讐鬼と化したジェニファーと、事件を捜査するハリーの命をつけ狙うのですが、クライマックスではジェニファーが最後の1人を殺害し、ハリーもそれを目撃していました。しかしハリーは、法を重んじる刑事であるという立場でありながら、ジェニファーの復讐劇を黙認し、すべての犯行は真相を闇に葬り去ろうとした最後のレイプ犯によるものだとし、ジェニファーを逮捕しませんでした。
これは、例えジェニファーが連続殺人犯であったとしても、その犠牲者が冷酷非道なレイプ犯であったこと、そして自分自身がレイプされ、さらには妹もレイプされてそれを苦に自殺してしまったというジェニファーの深い悲しみと憎しみを察し、刑事としての立場より1人の人間としての立場を尊重した、「毒には毒をもって制す」的な考え方が印象的だった結末です。それまでの「ダーティー・ハリー」シリーズとは一線を画した作品だったと思います。
僕が観たクリント・イーストウッド監督・製作作品の中では珍しくコメディタッチで、結末もハッピーエンドと言えなくもない作品は「スペースカウボーイ」(2000)ですね。この作品はクリント・イーストウッドとトミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーという往年の大物俳優が夢の共演を果たした話題作で、老パイロットたちが、人工衛星の修復という任務を受け40年ぶりに集結し、自らの夢だった宇宙飛行へと挑むという内容です。
ストーリーを解説しますと、かつてアメリカ空軍には宇宙探索飛行を目的としたパイロット・チームが存在したが、土壇場になって宇宙プロジェクトが空軍からNASAに移行、宇宙へ行ったのは訓練に励んでいた4人の男たちではなく一頭のチンパンジーだった。それから40年、チームの一員だったイーストウッド演じるコービンのもとにNASAから衛星修復の依頼が来た……というお話。 この映画は興行的には大して振るわなかったのですが、僕個人的には、適性検査すべてがEランク、しかも飛行訓練ですぐに根をあげてしまう年寄りばかりが宇宙に行くという何とも奇妙な設定、そして何と言っても、御大クリント・イーストウッドが遂に宇宙へ行くという事実に個人的に歓喜した作品です。
この作品では、トミー・リー・ジョーンズ演じるホークがNASAの職員と恋に落ちるのですが、適性検査の過程で末期ガンであることが発覚し、それでも宇宙へ行くというエピソードが盛り込まれています。そして、修復しようとしていた人工衛星が実は核弾頭ミサイルであることがわかり、それを月に廃棄しようとするのですが、手動でコントロールするには誰かがミサイルに張り付いていなくてはならないため、末期ガンであるホークが名乗りを挙げます。
エンディングは、ホークを除く3人は無事地球に帰還しますが、ホークはミサイルとともに月へ行き、最後は月面から地球を眺めるような格好で死に絶えているというものでした。しかし、ホークはかねてから、一度でいいから月面から地球を眺めてみたかったと言っており、人生の最後にその念願が叶ったという意味では、彼にとってもハッピーエンドだったのではないかと思います。 実はこのシーン、月面に衝突したミサイルの残骸から足跡が続き、その足跡の先にはホーク岩に寄りかかりながら腰を下ろしていて、ミラー状になっている宇宙服の頭の部分に青々とした地球が映し出されているという表現だったのですが、よくよく考えてみると、ミサイルが月面に激突した時点でホークが生きていて、そこから歩いて岩に腰を下ろすというのはちょっと考えにくいですね。もしかしたらあのシーンは、他の3人のうちの誰かの想像だったのかもしれませんね。
ホークが命を懸けて核ミサイルを月へ誘導し地球を守ったわけですが、彼はガンでなくても、おそらく同じ事をしたのではないでしょうか。しかし、観てる方はガンであった方がまだ諦めが付く。ホークが末期ガンであったという設定は、もしかしたら悲しみの緩和策だったのかもしれません。
クリント・イーストウッドが監督・製作した映画はまだまだたくさんありますが、他のハリウッド映画とはひと味違うエンディングが待ち受けているので、他の作品もぜひ観てみたいですね。今や映画界を代表する巨匠の1人で、作品も作るたびにクオリティを増していますが、彼の初期の作品も、時間があれば少しずつ堪能してみたいと思います。まずは「許されざる者」と「ミリオンダラーベイビー」のアカデミー賞受賞作品2作を観てみようと思います。皆さんも秋の夜長に、ぜひご覧になってみては?。
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