Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 監督クリント・イーストウッドの結末(前編)
2005年09月17日(土)

 さて、昨日はクリント・イーストウッド監督・製作の映画「ミスティック・リバー」について書きましたが、今日はそのストーリーとともに、監督としてのクリント・イーストウッドの魅力について書いてみたいと思います。

 クリント・イーストウッドは1930年生まれで、今年何と75歳。64年にイタリアに招かれて撮った「荒野の用心棒」が世界的ヒットを飛ばしたのをきっかけにマカロニ・ウェスタン・ブームに乗り人気が上昇しました。その後71年の「ダーティハリー」のハリー・キャラハン役でマネー・メイキング・スターのトップに躍り出ます。以降、自らのプロダクション、マルパソ・カンパニーを率いて「恐怖のメロディ」で早くも初監督をこなし、役者のみならず監督としても高い評価を受け、92年、自分の映画の師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた“最後の西部劇”「許されざる者」で念願のアカデミー作品・監督賞を受賞しました。

 監督に専念した、昨日ご紹介した「ミスティック・リバー」では、人生の不条理と人間の心の闇を描き出した傑作と高い評価を受けましたが、一昨年のアカデミー賞では演技部門で2つのオスカーを獲得するも、自身の監督賞と作品賞は、11部門制覇の快挙を成し遂げた「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」の前に涙を呑むこととなってしまいました。
 しかし昨年、女性ボクサーと老トレーナーをめぐる悲愴な人生を描いた監督・主演作「ミリオンダラー・ベイビー」を発表、再びアカデミー賞にノミネートされると、今度は「アビエイター」のマーティン・スコセッシ監督との事実上の一騎打ちを制し、みごと2度目のアカデミー監督賞(74歳での監督賞受賞は最高齢記録)に輝き、前年の雪辱を果たしました。「ミリオンダラー・ベイビー」は作品賞をはじめ主要部門で計4つのオスカーを獲得し、もはや名実ともにハリウッドを代表する映画人として誰もが認める巨匠です。

 クリント・イーストウッドが監督を手がけた映画で僕が観たのは、「ダーティハリー4」(1984)、「ルーキー」(1990)、「パーフェクト・ワールド」(1993)、「マディソン郡の橋」(1995)、「スペースカウボーイ」(2000)、そして「ミスティック・リバー」(2003)の6本。この6作品の中では、やはり「ミスティック・リバー」が群を抜いているなあと僕は思います。

 さて、これから書く内容はネタバレの危険があるので、まだ「ミスティック・リバー」を観ていない方で、これから観てみようと思っている方は、以下に設定した「ネタバレゾーン」を飛ばしてくださいますようお願いします。


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 クリント・イーストウッドが描く映画は、どの映画もいわゆる“ハリウッド的なハッピーエンド”がないというのが魅力のひとつであると言えるでしょう。昨日ご紹介した「ミスティック・リバー」も、もちろん原作はあるものの、イーストウッド自身がこの原作小説を映画化しようとチョイスした時点で、彼がこういった“ハリウッド的なハッピーエンド”ではない、むしろ不条理な結末を好むというのがわかると思います。

 「ミスティック・リバー」では、25年ぶりに再会した3人の幼なじみ、ジミー、ショーン、デイブとの間に、少しずつ亀裂が生じていき、最後は取り返しのつかない結末を迎えてしまいます。
 ジミーの17歳になる娘が殺害され、それによって町を出て殺人課の刑事になっていたショーンが捜査にやってきて再会を果たします。一方デイブは、妻がジミーの妻と姉妹であるため元々親戚関係で、事件をきっかけに再び交流を通わせていくことになります。ジミーは娘を失った哀しみをデイブに話すことで抑え、デイブもそんなジミーの気持ちを察し、黙って彼の話を聞いてあげるのです。

 しかしその後、刑事ショーンが担当するジミーの娘殺害の捜査線上に、デイブの名が浮上し、デイブがジミーの娘殺害の容疑者になってしまいます。ジミーは幼なじみのデイブが犯人であるということを知り衝撃を受けますが、その後仲間とともにデイブを脅迫し、娘を殺したのかと迫ります。
 デイブは初めは身の潔白を必死に訴えていましたが、ジミーに「娘を殺したと認めれば命だけは助けてやる」と言われ、自分が殺したとジミーに告白します。しかしジミーは、それを聞いてデイブへの憎しみを募らせ、そのまま彼を殺害し、死体を川へと流してしまいます。これでジミーは娘の復讐をし、事件は終わったかのように見えました。

 ところが、その後ジミーは、ショーンから犯人を捕まえたという報告を受け、デイブが無実であることを知ったのでした。そして罪もないデイブを自らの手で殺してしまったという事実に、途方に暮れてしまいます。
 ショーンは刑事でしたが、幼なじみで、しかも愛する娘を失ったジミーの思いを汲み、おそらくデイブを殺してしまったのであろうジミーを逮捕しませんでした。そして残されたデイブの妻だけが、デイブはおそらくジミーに殺されてしまったのだろうと言うことを悟り、哀しみに暮れるという結末です。

 おそらく“ハリウッド的なハッピーエンド”だったら、ジミーがデイブを殺害する直前にデイブの無実がわかり、ジミーがデイブを殺すことはなかったでしょう。しかしこの映画では、少年時代の友情が大人になるにつれて薄れていき、時には破滅すら起こりうるという現実を、まざまざと見せつけています。とても不条理な結末ではありますが、時に人間はこのような不条理な経験に遭遇する、いやむしろ、不条理な現実の方がはるかに多いものであると言うことをリアルに描いていると思います。


(続く)


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