Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 ミカ・ハッキネン、F1復帰直前だった!
2005年03月18日(金)

 98年、99年に2年連続でワールドチャンピオンに輝き、2001年をもって現役を引退したフィンランドの元F1ドライバー、ミカ・ハッキネンですが、昨年からウィリアムズのレギュラードライバーとしてF1に現役復帰するとか、年末にはマクラーレンのテストドライバーとして現場復帰するとか、様々な復帰説が流れましたね。で、結局彼はF1ではなく、ドイツツーリングカー選手権(DTM)で現役復帰することになったわけですが、実は何と!昨年ウィリアムズからレギュラードライバーとしてのオファーを受けていたことを認めるコメントをしていたのです!

 これは「ミカ・ハッキネン:リターン・オブ・チャンピオンシップ」という本の中で彼自身が明らかにしたもので、「2004年4月9日にウィリアムズ側から最初のアプローチがあったんだ。妻から、『誰からの電話だったの?』と言われたから、『フランク・ウィリアムズから来季に関するオファーだ』と答えたんだ。そのとき彼はモントーヤの代わりを探していて、僕にオファーしてきたようだ。2日後、僕はレースにはいつでも興味があるし、まだまだしたいと思っていることを語ったんだ。休暇は十分に長かったからね。」とコメントしています。
 しかし、その後ウィリアムズ側と接触した際には、本命のドライバーが他にいることに気がつき、その数日後にバトンのウィリアムズ入りが発表されたといいます。その後、BARなどとも接触したものの、バトン問題が解決するまではシートに空きはないと言われ、そしてF1復帰を諦めたということでした。

 つまり、ウィリアムズは昨シーズンの開幕前からファン・パブロ・モントーヤがチームを離脱することが決まっていたため、モントーヤに代わるドライバーを探していたというわけです。そこで4月の時点ではハッキネンに白羽の矢が立ったわけですが、その後実はBARのジェンソン・バトンが本命であるということがわかり、さらにバトンのウィリアウズ移籍に関してBARと契約上の問題で騒動に発展してしまい、ウィリアムズがバトンを獲得できなければハッキネンを起用するという考えだったようです。ところが、このバトン問題は裁判沙汰にまでなり長期化してしまい、さらにハッキネン自身も若手のバトンと天秤にかけられているということでプライドを傷つけられ、結局自らF1復帰を諦めたというわけですね。

 ちなみにウィリアムズは、結局バトンを獲得することができず、代わりにジャガー(現レッドブル)のマーク・ウェバーを起用することになりました。その後もう一人のドライバーであるラルフ・シューマッハもトヨタへ移籍することが決まり、ラルフの後任も探さなくてはならなくなったわけですが、この時点ではすでにハッキネンはDTMへの参戦を決めていたため、最終的にジョーダンのニック・ハイドフェルドを起用するに至ったのでした。

 僕の個人的な意見を言わせていただければ、そりゃあやっぱりミカ・ハッキネンにF1で現役復帰して欲しかったですが、ハッキネンはもうF1ドライバーとしては若くありませんし、3年もF1から離れているわけですから、体力的にもかなり衰えているだろうと言うことは想像に難くありません。一方ジェンソン・バトンはドライバーとしてはまだまだ若く、実力に関してもこれからもっともっと伸びることは間違いないでしょうから、ウィリアムズがハッキネンよりもバトンを優先したのは納得できますね。
 それに、ハッキネンがF1に復帰しても、思うような成績が残せずに惨めな結果に終わってしまうかもしれないと考えると、やはり2001年に余力を残したまま、惜しまれながらF1を去っていったその潔さを損なわず、いい印象のまま僕たちファンの記憶に残って欲しいと思いますからね。F1に復帰しなかったのは、長い目で見たら正解だったかもしれませんね。

 ただ、ハッキネン本人にしてみれば、一度はオファーをされたにもかかわらず、その後問い合わせてみたら「実は他に本命がいて、その結果次第だ」と言われてしまっては、ぬか喜びもいいところですな。本人はF1復帰に相当意欲的だったらしいですからねえ。



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