Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 スーパーマン死す!
2004年10月11日(月)

 今日はとてもショッキングなニュースが飛び込んできました。人気映画シリーズ「スーパーマン」で一世を風靡し、1995年の落馬事故で脊髄(せきずい)損傷を負った後には脊髄医療、福祉を推進する社会活動家としても活躍してきた米俳優、クリストファー・リーブが10日、心不全のため米ニューヨーク州の病院で死去しました。52歳でした。身体の麻痺に伴う合併症の悪化から9日にニューヨークの自宅で心臓発作を起こし、昏睡状態に陥っていたそうです。

 78年に「原子力潜水艦浮上せず」の端役で映画デビューし、同年オーディションで得た「スーパーマン」に主演。ルックスの良さと均整のとれた肉体でアメリカンコミックのヒーローをファンの期待以上に演じて大ブレーク。87年の第4作まで続いた同シリーズで名声を得ました。しかし、その後はイメージ定着を嫌って様々な役柄に挑み、暗中模索の時期が続いていました。
 そんな最中の95年5月27日、趣味で多くの競技をこなすスポーツマンでもあったリーブは馬術イベントで落馬し、首から下が不随となってしまいました。後に発表した手記「あなたは生きているだけで意味がある」(PHP研究所)によると、一時は絶望感から自殺も考えたそうです。しかし思い直し、懸命なリハビリを重ね、車椅子と呼吸器を備えての外出や水中歩行も行ったそうです。

 事故から10カ月後の96年3月25日には、第68回米アカデミー賞授賞式に車椅子で出席し、「映画を通して社会的問題に挑戦し続けよう」とスピーチし感動を呼びました。有言実行で財団を設立、麻痺者のための福祉活動と脊髄再生研究を推進し“車椅子のヒーロー”とも称賛されました。
 再起に向けた不屈の精神で、98年にはヒッチコック作品をリメークしたテレビ映画「裏窓」を製作総指揮し主演しました。オリジナルの足を骨折した主人公の設定を四肢麻痺に変え、車椅子で熱演する復活劇も見せました。
 ここ数年、ハリウッドではリーブ主演の第1作のリメーク「スーパーマン・リターンズ」の企画が何度も持ち上がっていた。キアヌ・リーブス、ジュード・ロウらの大物からジョシュ・ハートネットら若手スターまで様々な候補者が挙がりましたが、リーヴが演じたスーパーマンの存在感が強烈で、役を引き受けることをためらわせ企画は頓挫。順調に運べば、製作者側はリーヴにゲスト出演してもらう意向だったそうです。

 「スーパーマン」は、幼少の頃の僕にとってのヒーローでもありました。あの自由にビルとビルの間を飛び回る爽快感、墜落するヘリコプターをいとも軽々と片手で受け止める力強さ、回転扉を高速回転させながらの変身シーン、そして「ウルトラマン」で言うところのカラータイマーに見られるように、ヒーローには欠かせないピンチを演出するクリプトンナイトという弱点と、実に子供心をくすぐるストーリーが目白押しでした。ジョン・ウィリアムズのあのテーマ曲を思い出すだけで、今でも興奮してしまいます。
 「スーパーマン」シリーズでは4作目(「最強の敵」)だけ見ていませんが、94年の「光る眼」で、クリストファー・リーヴの「スーパーマン」以外の役を初めて観ました。しかし「スーパーマン」のイメージが強くて、リーヴが普通に歩いて普通に生活している姿に違和感を覚えていたのを覚えています。そのリーヴが、まさかこの翌年にあのようなアクシデントに見舞われてしまうとは思いもよりませんでした。

 リーヴは最近手や足の指先を少し動かせるまでに回復、俳優復帰に向けて懸命にリハビリを続けていた矢先の急死でした。落馬事故から9年、懸命のリハビリで最近は車いすで外出できるまで回復していたそうです。夢だった本格的な俳優復帰が、少しずつだが見えてきた矢先でした。
 ここ数週間は床擦れが悪化して治療を受けていたそうですが、5日にはシカゴで脊髄損傷の研究会に出席するなど、意欲的な活動を続けていました。「自力歩行」「俳優本格復帰」の夢はかなわなくなってしまいました。残念でしかたがありません。


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