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■ 「デイ・アフター・トゥモロー」を観る
2004年06月24日(木)
少し前の話になりますが、現在公開中の映画「デイ・アフター・トゥモロー」を観てきました。監督は「インディペンデンスデイ」のローランド・エメリッヒ監督。地球温暖化で近い将来現実となりうる地球規模の大災害、そして氷河期を、誰も体験したことのない驚異の映像で描いているこの作品、「インディペンデンスデイ」では異星人による攻撃で地球が破壊されましたが、今度はさらに強力な破壊力を持った「自然」が襲いかかります。今までのパニック映画では、外的驚異を阻止するドラマが展開されてきましたが、この映画では阻止することのできない驚異(大・自然災害)が襲いかかり、それを受けた後の衝撃の世界「氷河期」が描かれます。
昔、ジャズシンガーの阿川康子が、水没した都会の風景の中で立ちつくし、「コピーは三田」というナレーションで有名になった「三田」(現・京セラミタ)というOA機器のCM、覚えていますか?たぶん20年ぐらい前に流れていたと思うのですが。僕は子供ながらにあのCMを観て、「世界の終わり」とか「文明の終焉」といった終末的な映像に何となく惹かれてしまったんですよね。
現実にはまだ遠い先の世界なのかもしれませんが、おそらく僕たちはその光景を、実際に目の当たりにすることができませんし、そんな日のことなど考えることもほとんどありませんよね。しかし、映画の世界は年々SFXやCGが進化し、今ではいともたやすく、それも非常にリアルにその光景を再現することができます。映画ではビルが破壊されたり、船が沈没したり、飛行機が落ちたりといった危機的状況が多く登場しますが、世界そのものが破壊され無惨な姿になると言うのは、その中でも最大規模のものと言っていいでしょう。今回この映画を観たのは、そういった現実にはかなり未来の、大都会の代名詞ともいえるニューヨークの終末の光景というものを体験したかったというのが一番の理由でした。どこか別の星の近未来的な都市ではなく、僕たちがニュースや写真、それに映画などで見慣れている実在の風景が氷河期に覆われてしまうと言うのは、やはりかなり印象的でした。
「猿の惑星」(オリジナル)を初めて観たときに、そのラストで自由の女神が砂に埋もれていたシーンが未だに印象深いですが、今回観た「デイ・アフター・トゥモロー」もそれに近い印象がありますね。今回は自由の女神が砂ではなく雪に覆われてしまいます。アメリカの反映の象徴とも言える自由の女神が、胸の辺りまで雪に埋もれてひっそりと佇んでいるという光景は、衝撃を通り越し、文明の儚さ、そして古代遺跡を訪れたときに似た、ある種の安らぎのような感覚すら覚えました。もちろん「デイ・アフター・トゥモロー」はパニック映画ですから、普段と変わらないニューヨークの街並みが、大規模な自然災害によって氷河期へと変貌していく様はまさに悪夢のような無惨な光景ではありますが、僕はやはり、その激しいシーンよりも嵐が過ぎ去った後の光景の方が印象深かったです。
ところで、よくビデオレンタル屋に行くといつも目に留まって気になっている映画があります。それは「エンド・オブ・ザ・ワールド」(シュワちゃん主演の「エンド・オブ・デイズ」ではない)という映画で、パッケージにはやはり自由の女神が、しかしそれは砂でも雪でもなく、深い森の木々に覆われてしまっているものです。ネヴィル・シュート『渚にて』が原作で、ストーリーを読むと、台湾をめぐって米国と中国が核戦争を起こして北半球は死滅してしまい、オーストラリアへも徐々に放射能雲が南下してきている。そこに生き残った米原子力潜水艦がやってきて、オーストラリア海軍の指揮下に入るというもの。科学者から放射能は南半球には至らないという説と、北半球の北部はもう安全だという説が出る。そこにアンカレッジから毎日、決まった時刻にメールが送られてくる。文字化けで文面は読めない。そこで艦長にアンカレッジまで行って調査するよう命令が下るというちょっとミステリアスな部分も含んでいそうな内容です。まだこの映画を観てはいないのですが、誰かもう観られた方はいらっしゃいますか?
「デイ・アフター・トゥモロー」
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