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■ 「メメント」を観る
2004年02月02日(月)
昨日、ヒデボーさんが絶賛していた「メメント」という映画を観ました。最愛の妻が強盗に殺害され、そのショックで10分間しか記憶を保てなくなってしまう前向性健忘になってしまった主人公が、出会った人物や行った場所、物などをポラロイド写真に納めそこにメモを書き、さらに重要なことは身体に入れ墨を入れて記録を残し、妻を殺した犯人を探していくというサスペンス映画です。
この映画、実は主人公の10分間の記憶を一部重ねながら、「事の終わり」から「始まり」までのエピソードを遡っていくという流れで、主人公自身は各時点から遡って10分間の記憶と、自分自身が記録してきたポラロイド写真やメモ、身体に彫られた入れ墨による情報しか知り得ないのですが、映画を観ている我々は、その彼の行動を客観的に遡って追っていくことができ、彼がどのような経緯で何を考え、映画の冒頭の「事の終わり」に行き着いたのかを逆順で知ることができます。つまり、この映画の最後に、「事の始まり」が待っているというわけですね。
主人公はメモに残した事以外の細かな記憶は忘れてしまいますので、例えば誰かに追われていて逃げたとしても、10分後にはその記憶がなくなり、「自分はなぜ走っているんだ?」「あの男を追っているのか?」と自問自答し、試しにその男に近づいてみて、銃で撃たれそうになって初めて「違う!逆だ!オレが追われているんだ!」と気付くと言う始末。だから当然10分前より過去に会った人物やその人物に言われたこと、見たことは、記録に残さない限り全て忘れてしまうため、その彼の障害に付け入って彼を利用しようという人間も出てくるわけですね。
そういう周りの環境の中で、主人公がどれを「正しい情報」としてチョイスし、また自分自身が残した記録をも頻繁にチェックして、自分の中の「事実」を構築し、自分がその時点から何をすればいいのかという道筋を決定していったのかという経緯が、徐々に明らかになっていくというのがこの映画の面白いところです。結果として「こうなった」ということを先に出し、その過程を遡る上で、見ている我々はすでに、こうしたことによってどうなる、ということをすでに知ってしまっているので、様々なところで歯がゆい思いをさせられます。主人公の記憶障害を疑似体験しながら、情報の選択を誤り、あるいは読み違えることでその先の「真実」が狂ってしまうという危うさを感じましたね。
この映画の凄いところは、観ている我々も主人公の記憶障害に近い状態に陥るということです。主人公にとっての10分間の記憶の塊をバラバラにして、それを逆の順序で編集されているわけですから、当然我々もその前に観た場面の細かい部分までいちいち覚えていられませんから、下手したらこっちがメモを取らないと話に付いていけなくなってしまうからです。
ただ、映画を最後まで見終わってみて、「事の始まり」に辿り着いても、肝心な部分は完全に主人公の記憶からなくなっており、結局あれはどうなったの?これは何だったの?と謎が解明されない部分もあり、ちょっとオチが物足りない気もしました。映画を観る前は題名の響きのイメージもあり、ホラー的な「怖い」要素も含んでいるのかなと思ったら、話の筋自体は単純なサスペンスで、主人公の記憶障害によってまぬけなシーンもいくつか観られ、全体的にテンポも良く楽しめる作品でした。
この映画に出てくるナタリーという女性の役を演じた女優、どこかで顔を見たことがあるんだけど、誰だったかな〜なんて思っていたら、「マトリックス」のトリニティだったんですねえ。雰囲気が違うから一瞬分かりませんでした。
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