……みてきました。(汗) 最優先時、あんまり興味のなかった女子高校生ものをこんなに楽しめる自分がうれしいです。 そもそもあたしは貧乏性なので、おかねを払ってみたものに価値がないのが嫌で、なんでもそこそこ楽しんでしまうのですが。 この芝居ストーリーどうなのよ? 暗号は20年もあのままで誰も解けないなんてレベルじゃないじゃん!とか、 「貧困」のほかのプレゼントを考えるならパパ、娘をいじめからまず救ってやってください!とか、 最終的な結末に、 所詮小公女的イギリスな階級社会の勝利がどうなの?とか、さー。 すんごくつっこみを入れたい部分はたくさんあって、これ何回も観劇して楽しめるのかしら、あたし。(すいませんすいませ……) って自分に危機感を覚えていたのですが今は楽しいです!! 最初は場面場面の楽しさで楽しんでいたのですが、 結構ね。 今日みてて、あたしはものをかんがえてなかったかもーと思ったことがあります。
つまり、コレはもしかして逆説的な話? この話かなり、イギリス的なジョークというか、いろんな風刺的な意味を多分に含んだ話だったんじゃあ…ないの?
庶民のデイジーがいじめられ、自力で克服したにもかかわらず、大人たちが敬服しているのはそもそもの「血筋」という、今までとなんらかわりない現実がみえるラストは、ハッピーといえどもはっきりした階級社会を知らない日本人にはわりきれないものと映る。 結局、それ? デイジーがあんなにがんばっても正当な血筋をみせることでしか幸せはこないの?って思っちゃう。 すごい皮肉なラストだなあ。 今現在のイギリスの様子は知らないけど、つい10年位前までのイギリスの話なんぞ聞くとやっぱり階級社会は存在してて、言語も違うし、13歳位で行く中学がかわることによって、それからの未来がまったくかわって戻り道が少ない、みたいなことをきいたことがあるのを思い出す。 1920年代とかわんないだなー。 所詮そんな世の中なんだなーって。
でもこの芝居の中で、大人たちはどうであれ、学院の女の子達の意識の変化は絶対あったと思う。 自分達が思い上がっていたことを本能的に理解している。 パパやママや誰の価値観でもなく、自分たちの価値感をもぎ取る。 そこが小さいけど救いで、ステキな結末。
そう考えると、 さらに校長先生はデイジーが庶民と貴族の両方を兼ね備えていることで、新しい時代が到来することを未来からの使者のように語っているようにみえちゃうから不思議だよねー。 「淑女といえども芋は掘れ!」っていうのは原作にあるのかわかんないけど、この言葉を聞くと第二次世界大戦時には、格差のある階層でも同じように苦しい時代をのりきらねばならない未来を。 校長は、 「苦しいとき、デイジーを思い出して」 としめくくる。
学院が永遠であるように。 学院のポリシーが永遠であるように。 じんせいだけでなく時代というものに揺さぶられ、結構うまくいかないことも知っているけど。
『気高きことは素晴らしきことかな』 その言葉で子供達を未来に送り出していく、いかなければならない校長の姿にこそ輝かしいだけの学園の誇りとしての言葉だけでなく、自分にもみんなにも言い聞かせるようなニュアンスを感じる。 校長の言葉を現実として身に感じていない学院の生徒達がこの言葉を本当にかみ締めなければならないのはこれから、なんだね。
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