林心平の自宅出産日記

2004年09月30日(木) 妊娠中にぜんそくで病院へ行った顛末

妊娠中にぜんそくで病院へ行った顛末

妊娠中の体重についての訂正 
 妻がこの「自宅出産日記」を読んで、訂正箇所を教えてくれました。
 先日、1人目を妊娠したときは、20kg以上太ったと書きましたが、2人目を妊娠していたときは、もっと太っていたのでした。2人目の妊娠中は、小樽の助産婦さんの家に定期健診を受けに行ったときに、体重を計ってもらっていました。なぜか、助産婦さんはじゅうたんの上に体重計を置いて計測するのが常でした。そのため、値があやしいなとぼくたちは思っていました。けれど、真実を知るのがおそろしくて、そのことはあえて、追求しないようにしていました。
 当時の妻にはストレスがたくさんありました。初めての自宅出産を控えていたり、しかも最寄の病院へは車を飛ばしても20分以上はかかる(しかもあとで述べるように信用できない医師がいるところ)という、へき地に住んでおり、さらに妻はケーキ屋さんでハードに働いていました。それらのストレスのため、実際にはかなり太っていると思っていました。 
 出産後、家のフローリングの上で体重計に乗ったところ、なんと、76kgもあったのです。ちなみに、1人目の産後1週間の体重は72kgでした。どちらも妊娠前の体重は52kgです。

妊娠中にぜんそくで病院へ行った顛末
 こちらについても、先日書きましたが、妻が思い出してメモを作ってくれました。それをもとに書きました。

 妻はぜんそくで病院へ行くと、歩くと発作が起きるため、車イスに乗せられました。
診察室で「妊娠してからどこの病院にもかかっていない」と医者に言いました。それからすぐ内診。その後「赤ちゃんの写真撮っときました」と言われ、別に頼んでもいないのに胎児のサイズを聞かされ、それから予定日も教えられました。
 医者は、おせっかいにも、妊娠して初めて医者にかかる、妊婦に対する診察をしたのだと思います。写真など撮られなくても、胎児のサイズを測らなくてもちゃんと、予定日くらい把握していたのに。
 しかもそのあと、入院することになり、せきと発熱でぐったりしていた妻は、産婦人科の病室に移されました。そこは5人部屋くらいで、他はみな産婦らしく、すぐむかいにそれらの人が産んだ新生児室があり、ひっきりなしに赤ん坊が泣いているのでした。妻が病室に入れられたのは、深夜でしたが、赤ん坊の部屋は常に蛍光灯がついていて、お母さんたちの部屋から見えるようにあけっぱなしで、人がしょっちゅう出入りしていたそうです。何人もの産まれたばかりの赤ちゃんが集められていたら、いつも誰かは泣いている、というのは当たり前ですが、わが子でもない赤ん坊の泣き声をずっと聞かされるのに、ぜんそく発作の止まらなくなった私が耐えられる訳がありませんでした。
 それまでの医者の処置に疑問があった妻は、吸入をしている間考えて、看護婦さんに無理を言って、入院はやめて、帰してもらうことにしました。
「泣き声を聞いていると、今、友人宅に預けている自分の子どものことを思い出して、そうしたら心配になって、こうして寝てはいられないのです」と訴えました。丸く収めるために、決して、「こんなところではぜんそくがよくならないよ!!」とは言いませんでした。
 看護婦さんは非常に困っていました。でも、そこで寝ていてもぜんそくが良くならないことは明白でした。しじゅう赤ん坊が泣いている、まわりはみな産婦さん、という状況で、どうやってぜんそくが改善するでしょう。そこは、24時間、赤ん坊の父親、祖父母などが遠慮なく入れかわり、母親も赤ちゃんにおっぱいをあげたり、ミルクの世話をしているのです。
 それは、産婦さんどうしなら、お互い様だけど、どうして妻がそれに耐えなければならないのでしょう。もしも健康でも、そんな中でがまんして休むことなんてできません。
 けれど、そんな簡単なことも想像できないで、妻をその病室に入れたあの医者は、全くなんて不自由なのでしょう。病院も。妻は、そうしてますます病院嫌いになりました。


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