りえるの日記

2007年06月21日(木) 吉田秀和

朝日新聞 音楽展望 吉田秀和の記事を読む
美しい文章と、鋭い批評。
思わず書き留めてしまう。

演奏には重い演奏と軽い演奏がある。
重いとは、
先人たちが弾いた後を克明に調べ、再評価、
取捨選択しながら自分の解釈を作っていって
自分の奏法で古典を弾く。
そこからショパンやベートーヴェンが聞こえてくる。
だが、そこにはある種の疲労感、深みはあるが
苦い単調さとでもいった何かが聞こえる。

軽いとは、
例えば、ランランの弾くベートーヴェンの第4協奏曲
普通なら堂々たる威容をみせるベートーヴェンの
名曲が彼の敏感でよく走る指の下では、軽くたおやかに
流れゆく春の嵐みたいな優美な音楽と化してしまう。
この弾き方はギーゼングで味わった以来の経験である。
ランランがギーゼングを知ってのうえで
ベートーヴェンを弾いたとは想像しにくい。
ランランは感性で発見したベートーヴェンであった。

大きく違うバックグランドからでて、近代西洋音楽の中枢に
ある曲の解釈で期せずして相会した。
ギーゼングのしたことに理があり。ランランで蘇ったので
ある。
理のあるものは新しく美しい。



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