朝日新聞 音楽展望 吉田秀和の記事を読む 美しい文章と、鋭い批評。 思わず書き留めてしまう。
演奏には重い演奏と軽い演奏がある。 重いとは、 先人たちが弾いた後を克明に調べ、再評価、 取捨選択しながら自分の解釈を作っていって 自分の奏法で古典を弾く。 そこからショパンやベートーヴェンが聞こえてくる。 だが、そこにはある種の疲労感、深みはあるが 苦い単調さとでもいった何かが聞こえる。
軽いとは、 例えば、ランランの弾くベートーヴェンの第4協奏曲 普通なら堂々たる威容をみせるベートーヴェンの 名曲が彼の敏感でよく走る指の下では、軽くたおやかに 流れゆく春の嵐みたいな優美な音楽と化してしまう。 この弾き方はギーゼングで味わった以来の経験である。 ランランがギーゼングを知ってのうえで ベートーヴェンを弾いたとは想像しにくい。 ランランは感性で発見したベートーヴェンであった。
大きく違うバックグランドからでて、近代西洋音楽の中枢に ある曲の解釈で期せずして相会した。 ギーゼングのしたことに理があり。ランランで蘇ったので ある。 理のあるものは新しく美しい。
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