もし、自分の夫、もしくは妻が突然、記憶を失ったら・・・ そんなことを考えたことはあるだろうか。
先日の土曜日のことだった。 朝からテニスに出かけた主人から電話があった。
「オレ、今、何処にいるのか、わかれへん」 「?????」
「家へ帰る道がわからへん。何もわかれへん。オレ、変やねん」 「?????」
「○○スポーツの看板が見えるんやけど・・・ここ、どこ?」 「○○メガネという看板も見える・・・ここ、どこやろ」
それって、我が家のすぐ近所だ。車で一分くらいのところ。
「そのまま、まっすぐ走ってくれば、ウチに着くよ!」
私は、受話器を置いて、すぐに外に飛び出した。 そのまま、主人が家を通り過ぎてしまうかもしれないと心配した。
悪い冗談を言う主人ではないけれど、冗談であって欲しいと心から祈った。 なぜなら、その日はエイプリル、フールだったから。
外に出た時、主人がいつも通り、コペンを運転して 家の駐車場に入ってくるのが見えた。
「ヤレヤレ・・・やっぱり、悪い冗談だったのね」
でも、冗談ではなかった。
「何も憶えてないんや。オレ、何してたん?」 「テニスに行って帰ってきたんでしょ」
「テニス? 何で行った?」 「コペンでよ。自分で運転して帰ってきたとこよ」 「憶えてない・・・オレ、脳出血でもしたんかなあ」 「・・・・」
「お父さん、救急病院に行こう!」
この辺りでは一番大きい救急救命センターのある市民病院に、 スポーツウエアーから着替えた主人を乗せて向かった。
車中での会話。
「何処へ行くん?」「病院やんか」
「なんで??」「お父さんが、何も憶えてないって言ったから」
「オレ、そんなこと言ったんか? 憶えてない」「・・・・・」
「こんな道は知らない。こんなところに病院があるんか?」 「いつも通る道やんか!」
刻々と、主人の頭から記憶が流出していくのを感じた。
病院では、自分の名前と生年月日はスラスラ答えた。 でも、今日のことは何も憶えていないばかりか、 三日前に和歌山の道成寺に桜を見にドライブに行ったこと、 愛猫のスーちゃんを車に乗せて、近くの公園へ行ったことなど、 全く記憶の片鱗すらなかった。 古女房はわかるが、最近のことをすべて忘れてしまったらしい。 私がパートで働いていることも知らない。 「ウチの家って、どんなのだった?」などとも言う。 二十年も住んでるのに・・・ でも半年前に来た猫のスーちゃんを覚えている。 要するに、頭の中がバラバラなのか・・・
脳外科でCTスキャン、MRI、血液検査などの検査を受けた。 主人の記憶力はほんとうにゼロという感じだった。
おトイレに行ったすぐその後でも、もうその記憶は消えてしまっている。 病院では二人で同じ会話が延々と続く。
「今日は何月何日?」「四月一日」 「シガツー! ツイタチー!」と、びっくりする主人。 「ということは、二日前はオレの誕生日だったんや。何をした?」 「ううん・・何もせえへんかった。でもサチコがお菓子を送ってくれたでしょ」 「憶えてない・・・」
一分も経たないうちに、また同じ会話が始まる。 「今日は何月何日?」「四月一日」 「シガツー! ツイタチー!」 何度、繰り返しても記憶をしない主人は、イチイチ新鮮に同じ反応をする。 「ということは、二日前はオレの誕生日だったんや。何をした?」
こんなに何十辺も同じことを訊かれるのなら、 誕生日には豪華なご馳走やプレゼントをしておくべきだった!
まるで、壊れたテープレコーダーのように、同じ会話の場面が 延々と再現される。
「オレは今日、何をしたんや?」「テニス」 すると、自分の格好をしみじみ眺めて「でも、運動をする服装とちがうやんか」 「着替えてきたよ」 「誰が着替えさせてくれたん? おまえか?」 「自分で着替えたんよ。箪笥から服を出したのは私やけど」
「ここは、どこ?」「病院」 「なんで、ここにいるんや?」 「テニスに行って、それから記憶が無くなってしまったの」 「どうして、わかったん? 倒れたのか?」 「ちがう。自分でそう言ったんよ」 「憶えてない」
市民病院での三時間、これらの会話セットが延々と繰り返された。 大げさではなく、何十回もの繰り返し。 「今、同じことを言ったよ」などと言っても何にもならない。 主人には、その時、その時の「今」しかない。 何も記憶することができないのだから・・ だから、私は突然のこのできごとに、悲嘆にくれる間もなかった。 休むことなく繰り返される会話の相手をするのがせいいっぱいだった。
検査の結果、主人の頭の血管には、何の異常も発見されなかった。 脳外科医は今から堺市にある病院に行くように言った。 紹介状とCTスキャン、MRIのフィルムを持って、 言われるままに、私達は脳神経科のある堺市の病院に向かうことになった。
市民病院で料金を支払う時、持ち合わせのお金が足りなかった。 主人の財布から一万円札を抜き出しながら 「今、お父さんの財布からいっぱいお金を出しても、 どうせ、お父さんは憶えてないでしょ」と笑いながら言うと、 主人もクスクス笑いながら「こいつ・・」と答えた。
主人は、いつもの優しい主人だ。 何も記憶ができない、という点を除いては・・・
だから、この会話さえも主人の記憶からすぐに全部消え去ってしまうのだと思うと 記憶ができないということは、何と寂しいことなんだろうと感じた。
(つづく)
追記 (今は正常です。念のため・・)
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