そよ風


2005年02月24日(木) 何が言いたいのかって・・・

「長男だけは、やめとき。 結婚するなら絶対に次男か三男と!」

娘がまだ結婚を考えるような年頃でもない頃から、
私はいつも言い聞かせてきたつもりだった。

だのに、娘の相手は、やっぱり長男、

娘曰く、自分の好きになるのは、やっぱり長男だと思う。
次男とか末っ子の知人や友人はいるが、
どこか自分と性格が合わないのだ、

わがままで、自由奔放過ぎたり、
のんびり屋で、いつまでも親に甘えている感じの人が多い、

ということだそうだ。

たぶん・・・たまたま、そうだったのだろう。


正直、私は主人の親をけっこう尊敬している部分もある。

80歳になってもまだ、独居老人向け給食作りの
ボランティアに参加している義母は、私の自慢だ。

二人でせっせと畑で野菜を作って、我が家にはもちろん
近所や友達にも配っている。
生き方そのものが、ボランティア的な人達だと思う。

まさに、「子供や孫のため、近所の人々のため、
少しでも人様のお役にたてるのなら」 と老体に鞭打って働く。
心から立派だと思っている。

でも、それ故、常に「手抜きをして、少しでも楽をしよう」
と企んでいる嫁にとっては、チっと煙たいのも事実だ。

だから、エアロに通うのも、もちろん極秘行動だ。
自分の息子が汗水流して働いて得たお金を
嫁が体操やプールなどに、使い込んでいると知ったら、
非難轟々となるのは、わかりきっている。
あの年代では、無理もないことだと私にもわかる。

私達の間にある大きな壁は、嫁姑の確執というよりは、
単に、どこの家庭にでもある親子間の世代の格差だ。

孫の教育問題、成績、進学、すべてのことに、
親以上にカッカッと熱くなり、熱心だった二人を
私はひそかに「教育ジジババ」と呼んでいたよ。

「なんで、もっと子供に勉強をさせないのか」
「なんで、学習塾に行かせないのか」

毎回、毎回、同じことの繰り返し。

「あんた達のためを思って、言ってるのだ」そうだ。

たしかに・・・

古い考え方が必ずしも間違ってるわけではないと思う。

しかし、何十年も昔、私自身が中学生時代の反抗期に思ったこと、

「良い成績をとって良い学校に進学することが、そんなに大事なの?!」

というセリフを、再び、夫の親を前にして、叫びたくなる時がくるなんて、

思ってもみなかった。 因果なものね。


どうして、こんな話になったのかなあ。

要するに、たとえそれが善意の塊であったとしても、
子供にとっては、親の古い考え方を当然の如く強要されるのは、
とても苦しいものだということ。
時代はどんどん変化しているのだ。

その点、次男はいいな。
長男は、長男であることだけで、しんどい部分があって・・・

さて、私がいったい何を言いたいのかわかりますか?


話が非常に飛躍してしまうのだけど、

「私は皇太子様の味方です」

って、これが言いたかったんです。
それだけのために、こんなに延々と書いてしまったのね。

別に争いごとになっている訳でもないし、
変なオバサンが味方になって、かえって御迷惑でしょうが・・・


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