にゃも日記
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2005年02月27日(日) 宗教の勧誘とか

Kが親子代々のS会信仰というのは、友達になって、かなり経ってから聞いた。
一言も勧誘とかは無く、至って普通だったし、信仰とかも彼なりに考えているよう。ひょんな事から語り合う、一つの話題でしかない。
うちはJ宗らしいが、あまり良く知らない。
それはそれで、信仰の自由だったり、家がそうだから自然に馴染んだとか、そんな感じではなかろうか。

しかし今日、親が連れて来たのは、信仰にがんじがらめになっているオバサンだった。なんと一時友達が信仰していたところ。私も一度連れてってもらったところ。
どこの誰だ。どこの筋だ。
私が落ち着かずにいつまでも一人でいて、反抗的になるのは、先祖だか信仰だかが問題だということらしい。
昨日のアレは何だったのだ?と思いつつ、一通りカモられたフリでもしてやろうかと、適当に聞くことにした。
親には、二人でないと話を聞きたくないといい、最初のほうで帰ってもらった。
意外にあっさり帰った。というか、雰囲気的に断れないから、理由を付けてターゲットを私に逸らしたかったようた。
一度ホーゲンに足の痛い痛いツボでも揉まれまくってきやがれ。頭とれ。ほんまにノーミソ入れ換えてもらえ。

さて、本題にはいり、まあ内面的な悩み、不満や不安を、根掘り葉掘り聞かれる。
ナイナイ尽くしな返事。
そりゃもう会社や彼や友達に感謝する日々ですよ。不安はないし不満もない。後は皆が健康ならば言うこと無し。とか。
というと、オバサンが、そんなわけない!!と、誇張じゃ無く、ほんとに醜く顔を歪めて言う。
いや、だから、本人がそうだと言ってるではありませんか。それを信じていないイコール不幸ということで??
違うの、違うのよにゃもちゃん、おばちゃんはね、違うのよ。
……?
今のあなたが<幸せだ>と思っている事が、お父さんお母さんの幸せからは離れていってしまってるの。それでね、その助けになったらと思ったの。気付かせてあげたいの。
その後はお決まりの、○○って知ってる?誰々知ってる?とか、親子の心に来るような台詞とか出てくる出てくる。
だから入ったほうがあなたのためなのヨ!!と来た。

あの、個人的にはですね、神様とかって、心の中のものだと思うんですよ。信仰心は、中から湧き出るものというか。普段は気にしてなくても、折々に思い出すもの。お参りとかも、ある程度の年になったら、自分の意思でやるというか。…それを幸せの特効薬みたいな言い方して、人の幸せ観を否定するってどうかと思います。
そうじゃないのよ、そのひねくれた考えはちゃんと先祖が供養できてない証拠なの。私は導いてあげてるの。そうやって間違えてるから不幸になるのよ。おばちゃんは喜んでお金を神様に使ってもらうのよ。それが幸せとして自分に返ってくるの。
…不幸になるとか不安を掻き立てる言葉は、導きにはご法度ですよね。最近変わったんですか?私まだここ入ってますし会報見てますけど(嘘)。
えっ…!?
ですので捻くれていて先祖が成仏してなくて私や親が不幸なのなら、この信仰は間違いなんですね。
ところで筋親は誰ですか?親兄弟にこんな話は、してほしくないんで、後日お願いにあがります。
というと、慌てて話題を逸らした。
そして帰って行った。二度と会わないだろうか。会いたくない。親にはドルァ電。

帰りの電車で、お祈りをさせろと、椅子に座る男性に話し掛けた婆さんがいた。なんとタイムリーなと思い、観察していた。
婆さんは善人チックな笑みを張り付けている。普通の人っぽい。
話し掛けられた男性は、つっけんどんに、それ何?と聞いた。
我が意を得たりと、婆さんは話し始め、周囲は、ありゃーあの人引っ掛かっちゃったよ!という空気に。
あなたの幸せを祈るもので、これであなたもあなたの周りも健康になる!みたいな事を言っていたように思う。その間5秒くらい。
男性は、間髪入れずに、でもそれやられてウチの親死んだんやけど。と、淡々と、しかしはっきりと言った。
次の瞬間、婆さんはギョッとした顔になり、顔を(年のせいではなく)醜く歪めながら、それはそのせいと違う、死んだ言われても知らん…と、ゴニュゴニョ言いながら車両から出て行った。
実際に不幸をぶつけられると、そんなん知らんと逃げる救済とは何ぞや。婆さんの歪んだ顔に、あのオバサンが被った。同じ種類の、イガミ具合。

男性は何事もなかったように淡々と座っていた。男前だ。
よくやった!!と清々しくなった。


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