Rocking, Reading, Screaming Bunny
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Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
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2010年04月09日(金)  translation dilemma

仕事として引き受けた手紙の翻訳をする。日英翻訳の難しい点のひとつは、漠然としたニュアンスの日本語を、明確な意味を持つ英文に置き換えなければならないことだと思う。例えば、「やはり色々と大変であれかとは思いますが、何かありました時にはまたひとつよろしくお願いします」をどう英訳するんだということだ。この日本語は、長い割には実は意味がほとんどないのであり、ないものは訳せない。そしてここで実際に言いたいのは「また仕事を下さい」だったりするので、それをオブラートにくるんで言うしかない。

先月、翻訳の講習会に三つ参加してみた。日本人二人にアメリカ人一人。たった三例だけだが、どうもこの翻訳というものは、英語を学ぶこととは大分違った作業なんだなと感じる。
三人のうち金融翻訳専門の翻訳家は、原文が読み辛い場合は、読みやすい文章に変えるのが翻訳家の使命だと言った。書いた人間よりも読者のことを考えるべきだと。なので質疑応答の際に私は、「では例えば文芸翻訳の際に、悪文が優秀な翻訳家の手によって優れた文章に生まれ変わってしまっても良いとお考えですか?」と質問した。そしたら翻訳家は一瞬絶句し、「それはかなり深い問題だね。それを今ここで言えっていうの?」と困り果て、いくつか「悪文→すぐれた翻訳文」の例などを話してくれたが、結局明快な回答はなかった。

で、私自身は、悪文は悪文のまま訳したほうがいいと思うのだ。悪文が売りの作家もいる筈であり、だったらそれを味わえるほうがいい。「うわあこれ読みづらい文章だな。よしここはひとつ俺が読みやすい文章にかえてやろう」などというのは「改ざん」に思える。

だが文芸ならともかく、実務翻訳の場合、読みづらい訳文を出せば翻訳家が力量を疑われるのであり、であればお客様が満足するであろう読みやすい文章に仕上げるのは当然ともいえる。

科学論文をよく訳すという翻訳家はこう言っていた。「ネイティヴの文章なんてどれもこれもまあひどいもんですよ。こっちが校正してるんです」
翻訳された論文はどれも画一化されていそうな気がしてくる。論文なんぞに個性はいらないということなのかもしれないが。(本当にそうか?)

翻訳って何なんだろう。原文のイミテーションなのか? 全ての文芸作品は、原文で読むことでしか真価を味わえないのか?
ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の訳で有名な柳瀬尚紀氏は、英語の語呂合わせなどを日本語の駄洒落に換えたりしているようで、そういったことこそが「翻訳」なのか? 何をもって正しい訳というのか。

無論私自身に結論は出ていない。結論を出すにはまだあまりに経験が足りない。今しばらく勉強してみてから考えたい。

ひとつだけ。去年私の知人が、ある日本の作家を激賞して、「こんな美しい日本語は、翻訳は不可能だ」的なことを言っていたが。―――その知人は英語が全くといっていいほどわからず、英語以外の外国語も出来ない。英語の美しさ、英語の可能性、日本語との差異も知らないのに、何故翻訳の可・不可がわかるんだ。英語と日本語の壁を乗り越えて、川端康成を、谷崎潤一郎を、その他日本人作家の作品を海外に伝えるために、どれだけ翻訳家が懸命の努力をしていると思ってるんだ。
英語が出来ないことはどうでもいいが。知りもしないで適当なことを言わないでいただきたい。

translation dilemma (翻訳の苦しみ)



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