Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
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2008年01月24日(木) |
shouldn't take it for granted |
母(実は昨日から銀座のホテルに滞在中。仕事で来ているので会う暇がない)に電話して、昨日母の手料理で元気になったことを報告したら、ものすごく喜ばれた。親っていうのは、とにかく子供に食べさせることが本能だからなあ。親でなくても、「食べさせたい」という気持ちは「愛」だと思う。
私は小学校から高校まで、しょっちゅう学校に遅刻していた。(人に歴史あり。じゃなくて、私に進歩なし) 家をぎりぎりに出る時、母が「ごはんは?!」と言うので、「そんな時間あるワケないでしょっ!!!」と、非常識なと言わんばかりの態度で家を走り出ていた。時には、トーストに何かを挟んで渡そうとしたりする母を、「いらないっ!!!」と邪険に遮ったり。 大人になって自炊するようになってから、あれだけは悪かったとしみじみ反省した。 ごはんをつくってあげるというのは、大変な愛情なのだ。それは買物の時から始まっている。何をつくるか考え、材料を揃え、料理し、見栄えがいいように盛り付ける。全て、「美味しい」というたった一言を期待しての「愛」だ。ましてうちの母は、当時から父より働いていながら、毎朝きちんと凝った朝食をつくっていたのに。 それを、「いらないっ!!!」って。 ・・・おかーさん、ごめんよ。思い出すと今でも胸がつぶれそうだわ。
私自身は、元ダンナと出会って初めて、「食べさせる」喜びを知った。それまでは、彼氏が皆お料理上手で、常に食べさせてもらっていたのだ。 何をつくってあげても、感激して食べるひとだったなあ。
20代前半の頃に、バンドのギターがうちに遊びに来るというので、「ごはん作ってあげようか?」と言ったら、「どっちでもいいよ」って感じで反応が薄い。そこではっと気づいた。こいつ自宅っ子だわ。当時友人の9割が一人暮らしだったので、ゴハン作ってあげると言えば大喜びされるのが普通だったのだ。それ以来、自宅っ子にはお料理してあげないと決めた。 家を出てみないとわからないことが山ほどあるよね。
shouldn't take it for granted (与えられて当然と思うな)
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