Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
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2007年11月12日(月) |
love for mankind |
先週KZ(g)にミステリー本をお送りしたところ、楽しんで読み始めたとの返信が来た。興味を持って頂ければ何より。
ミステリーやSFは、純文学に比べて低く見られがちだ。しかし、とんでもない話だと思う。はっきり言えば、純文学と、ミステリーまたはSFを比べれば、クズの混入率は純文学のほうが遥かに高い。何故なら純文学は、書くだけなら誰にでも書けるからだ。早い話が字が書ければOKで、例え文法がメチャクチャであろうが、話の筋が通っていなかろうが、ストーリーが途中で消えてなくなろうが、「それが私の文体」「これが芸術」とぬかしていられる。しかし、ミステリーやSFを書くには、きちんとした知識と理屈と技術と説得力が要る。 私自身は、純文学もSFもかなり読んでいるが、特に洋物ミステリーに関しては、趣味に偏りがあるものの、マニアと言っていいと思う。クリスティ、クイーン、カー、ガードナーの4人だけでも250冊近く読んでいる。エリン、ジャプリゾ、ボアロー&ナルスジャック、シューヴァル&ヴァールー、ドイル、ホック、アルレー、ハイスミスは、翻訳されたものは殆ど読んでいる筈だ。ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)という名前などは口にするだけでうっとりする。
ところで送った本は、クイーンの編集によるショートショート集で、その名も「ミニ・ミステリ傑作選」という。 ミステリーのオムニバスは無数にあるし、クイーンの編集本もかなり多い。しかしこれは、セレクションも配置も特に素晴らしい。ミステリーを広義に捉えていて、収録された67編中には、純文学作家の作品も多い。例えばディケンズ、サキ、デュマ、モーパッサン、チェーホフ、ヴォルテール、トウェインなど。知識とユーモア、幻想、涙と人情、心理的恐怖、ありとあらゆる文学の要素が詰まっている。 この本を古本屋で50円で見つけたのは、小6か中1の時だったと思うが。子供心にも興奮し感動し、一気に読み通した。以後、今日までに何回も読み返した。これまでに読んだ2,500冊あまりの本の中で、(二度すら殆どないが)三度以上読んだことがあるのはサリンジャーとフレドリック・ブラウンを除けばこれだけだろう。
この本の最も見事な点は、全体のトーンがきれいに一定していることだ。まるでツェッペリンのアルバムのようだな、と思う。 お馴染みの作家陣(ミステリーでも純文学でも)の、どれもほんのちょっとずつ「いつものそれ」らしくない雰囲気を含んだ作品が多い。まるでこの本にあわせたかのように。――クイーン自身の作品ですらそうだ。
この本を最初に読んだ時に思ったこと。どうして私にこれほどの喜びを与える為に、これだけの人が書いてくれるんだろう? 私を喜ばせる為に書いているとしか思えなかった。
つまりね、そこなんだよ。純文学と、ミステリーやSFの一番の違いは。 純文学は、独りよがりな苦悩や混沌からだけでも書ける。だが、優れたエンターテインメントというのは、他の人類への愛なしには書けないのだ。
love for mankind (人類愛)
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