Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
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2007年04月05日(木) |
Midnight Blue |
今日から毎週木曜は、飯田橋の企業で授業をすることに。6人のクラスだが、いつも半分くらいの出席率だそうで、今夜も3人出席。6人のクラス参加時期もばらばら。そんなんでどうやって管理しろというのか、とも思うが。しかし考えてみれば、一般的な英会話スクールのクラスというのはこれが普通なんだよなあ。 何をやるかも一切わからず行ってみた。まずは生徒たち(20〜30代)に、今までどういう授業をしていたのか訊いてみる。もう1年半もやっているクラスなのだが、一番の古株に英語で話させてみたところ、基本の自己紹介すら出来ない。よくよく訊いてみたらこれが、昨日の体験レッスンの生徒を担当していたのと同じ講師と判明。・・・またおまえかよw
3人以上を一度に教えるのは初めてだったが。案ずるより生むが易し、ってことで。楽しかったな〜。
BZ(g)にメールして、10日の夜に会えないか訊いてみる。多分BZとは今後あまり会わなくなるだろうなと思い、だから逆に、誕生日になる時に一緒にいてもらおうかと思ったのだ。OKではあったが、メールのやり取りの中でこちらが会う気をなくした。 何故だかわからないが、昔から誕生日の4/11になる瞬間を必ず確認していた。時報を聞いていることも多い。そしてその瞬間に独りだったことは、生まれてから殆どない。
2002年の誕生日になる瞬間は、珍しく独りだった。3月にダンナと別居していたのだ。ダンナが絶対に離婚しないというので、ダンナの両親にお願いして来てもらい、無理やり実家に連れ帰ってもらった。 独りでいて、ぼうっと過ごしていた。0時少し前に電話の時報をスピーカーから流し、ベランダの洗濯物を干していたら0時になった。なんだかおかしかった。 ああ、私、一人だなあ。 真夜中のひんやりした空気が気持ちよかった。自分が選んで手に入れた孤独の満足が、薄い寂しさをはるかに上回っていた。
勿論私は人一倍寂しがり屋だが。そんなことよりも大事なものがある。あの時の満足感は忘れたくない。 いいや、今年も独りでいようか。そう決めてしまえば、何かすがすがしい。
Midnight Blue (午前0時の憂い) *Laura Nyro の曲。(1975)
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