Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
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2002年12月22日(日) |
Do you need anybody? ---I need somebody to love |
やらなければいけないことを全部棚上げにして生きてる。脇において。支払い停止にして。それこそ70年代フォークみたい。
「アビーロードの街」なんてタイトルがすでに安っぽい。バンド名もかぐや姫ってんだから。歌詞の浮ついた感じは救いようもなく。メロディも情けない。ヘタレの一言。で、これが。
30年近い時を経て、私の心に沁みる。1973年から。ナフタリンの香りがしそうな年代もの。
あの日の君は傘さして 青山通り歩いてた 君は雨の中 丁度今日みたいな日だった ビートルズの歌が 聞こえてきそうと 二人で渡った 交差点 いつもは君と歩く道 今日は一人で歩いてる
通りがかりの喫茶店 ガラス窓越し雨の街 いつもなら君を 無理して笑わせている頃 となりの二人は 見てきたばかりの 映画の話しを あれこれと 一人のテーブル つまらない 君に逢えない水曜日
車の流れが耳につく 話し相手も居ないとき ポケットを探り やっと見つけた十円玉 公衆電話だから 大きな声で 言えないけれど 好きなんだ 地下鉄駅まで帰る道 青山通り雨通り
この腑抜けな歌は、たった2行を言いたい為に歌っている。
公衆電話だから 大きな声で 言えないけれど 好きなんだ
あとの曖昧かつ無意味な歌詞は全部、この言葉の持つ重みを出す為に、ふわふわと周りにまとわりついているだけ。結局この頃の若者にとって、重要な意味を持つのはただひとつ、子供同士の恋だけだったから。
多分この状態というのは、ほぼ毎日(水曜以外?)会っていて、つきあっていると言っていいんだろうけど、特に具体的な約束はないというところか。 今では携帯が、なんて話は省く。大きな声で言えないということはボックスではない。当時電話ボックスは少なかったんだろう。どこかの店先か。赤かピンクの電話かな。 やっと見つけた10円でかけるわけだが、当時は10円で3分話せた。恋心を告げるにはちょうどいい時間か。今では10円だと1分しか喋れない。かなりさっさと用件に入る必要がある。 公衆電話は彼女につながるツールで、それはぽつりぽつりと街に点在する。用事はない。全然。 そしてこの 「好き」 にも何の意味もない。言われた相手も、だからどうするわけでもない。なので、後は雨の中をまた歩いて帰るだけの1行で終わることになる。70年代フォークの作り手たちは、自分たちの行動の無意味さをちゃんと知っていたりする。
それでもね、それだけに。 そのぼんやりとした曖昧さが、胸を打つ。本当は相手のない恋の告白。雨の街で公衆電話の受話器を握りしめて、そこには自分しかいない。モラトリアム。浮ついた青臭い恋。性別もほぼなく、顔もない。 切ない、という気持ちが実は、愛の欠如からくることに気づいていない、子供の恋。
そんな恋が、今でもそこらに、落ちてるんだろうか。
Do you need anybody? ---I need somebody to love (誰かにいてほしいかい? ―――僕は愛するひとが欲しいんだ) *With A Little Help From My Friend / The Beatles (1967) の歌詞。
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