遠くにみえるあの花火に
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2004年08月23日(月) 書こうとしているもの

結婚式の準備で、微妙に忙しいこのごろ。
しかし仕事も普通に暇ではなく、小説も書きたい。

そしてまだほんのり夏バテぎみ。
ああ。





ゴザンス800字を書いてみて、思うことは、
やはり私の書き物は、どこか独りよがりなんだなぁということ。

書くこと自体に満足している。
満足しきっている。

でもそうではなく、
何をどう書くか、ということを意識すべきなんだと思う。
本当は。


書いていて、どうしても離れられない題材に「恋」があって、
「恋」という題材をそれほど中心にすえて書きたいと思っているわけではないのに、
やはり「恋」する人を書いてしまう。

恋に馴染めない女性の、でも恋にからめとられていく女性の姿、
そういったものを、知らず知らずに書こうとしている気がする。
書こうとしているけれど、
書ききれていない。
そういう感じ。

まだまだ未熟だなぁと思う。

自分自身の中で、何を書くかということを意識しきれていないくて、
ぼんやり「平和」で「何もおこらなくて」でも
「愛する人がいる」というような、
そういうことを書きたいとは思うけれど、
書くんだ、とは、意識しきれていないと思う。

私はこれが書きたくて、これを書いていく、というものに、
まだぶつかっていけていない、そう、思う。





もうひとつ「テンション高いやつ」執筆予定でしたが、
中々それどころでもなく……。
また次回のお題で、がんばりたいと思う。
それにしても、私はいったいぜんたい、
何を書こうとしているんだろう?

物語というものを、いったい何のために書くんだろう?

この半年くらい前から、急にまた書き始めた。
中学生の頃は小説家になりたくて、でもなれないだろうなぁと思いながら、
それでも書いていたけれど、
あれからもう10年以上、書いていなかったのに。

10年以上書いていなくて、また急に書き始めた。
「詩」に近い文章は、時々思い出したように書いていたけれど、
エンピツで日記を書き始めて、また急に、だ。

不思議なものだなぁと思う。

物語を書く楽しさを、また思い出してしまった。





それにしても、私の中に湧き上がってくる物語を書きたいという欲求は、
どうしてあふれてくるんだろうか?

話が、別の方向にそれてしまうかもしれないけど、
私自身と母との繋がり、ということが、
どこかで少しは関係しているのかもしれないと、ふと思う。

母のことを考えると、本当に本当にささいなことで
涙が出てしまう。

母という一人の人間について考える時、
自分ではどうしようもなく、心がぐずぐずと湿り始める。
母。
母の笑顔や、強さや、時にわがままにふるまうことや、
時に厳しくふるまうこと。
そういったことを思うだけで、泣けてくる。

特にそれを、誰かに語ろうとする時。


なんなんだろう?

母はごく一般的な人だと思う。
過去に何かお互いにあったわけでもないのに。


いま、自分が書いている物語は、そのうち、
母とのつながりについての物語を書くという方向へ、
変わって行くのではないか。

と、そんな風に思ったりもする。





最終的に、誰かの心に触れる物語が書きたいと思う。
ひとりよがりな、自分だけのための物語ではなくて。

そのためにまず、「書こうとしているもの」が、
いったいどういう性質のもので、何をめざしているのか、
意識する必要があるかなぁと、そう思う。

思うだけは、いつでもたくさん思うんだけども。



ーーーーー

さて、今日は雨。
7時半からの、板飛込みの寺内くんを見なくてはなりません。
彼に関しては、まったくミーハーな私。
今日は予選。
がんばってほしいなぁ。




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